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2006年03月28日

「美しくプレーする」

「JOGA BONITO/ジョガ・ボニート」=美しくプレーする。

ナイキさんの新しいキャンペーンのキャッチ・フレーズ

結構いい、今回はクレームつけません。

なんつっても、ブラジル・サッカー、セレソンへの賛辞だよな。カントナさんまでお出まし頂いちゃって。

ただ、ここでナイキの「JOGA BONITO」への直リンは紹介しない。キーワードで検索すればすぐ出ますからね。

ただ、不思議とナイキのHPにはアップされていないが、「JOGA BONITO」シリーズのロナウジーニョの子供のころのフットサル・シーンが、今週のポルトガルの「マイス・フッテボウ」サイトでリンクされていた。

いまポルトガルでは、CLベスト8で地元ベンフィカと激突するバルセロナに話題が集まっている。なんやかんや言っても、彼等もロナウジーニョを生で観たくてしょうがないらしい。

映像では、ちっちゃいジーニョと大きいジーニョのプレーシーンがオーバーラップしていて、ちょっと分かりにくいけど、なんといってもロナウジーニョの子供のころの映像ですよ。たぶん、背丈からして10歳前後ぐらいかしら?

内容は、それはもう技の連続。スゴイ、スゴイ。フットサル愛好家には垂涎ものかも。

http://www.maisfutebol.iol.pt/consola.php?tipo=2&art_id=662082&titulo=

こんな、子供のころの映像は宝モンですね。

知り合いのお父さんが、どうしたら息子はロナウジーニョのようになれるのか?と考えあぐねていたが、
「オタクの息子さんも、今これだけできれば、なれるんじゃねーのー?」とイジワルに答えてあげたい。

あ、あと『GINGA』とうとう公開だそうですから。あっしも観に行こうっと!

http://www.ginga-cinema.jp/main.html

ブラジル・サッカーファンには必見ですね、やっぱり!

投稿者 fhasebe : 10:26 | コメント (4) | トラックバック

2006年03月26日

待ってぇ~!マテウス

しかし、まあ、はかないモノでした。マテウスがアトレチコ・パラナエンセを指揮した期間。

就任した2月1日から、退任した3月18日までをカウントすると、

たった46日間のヨーロピアン・エキスペリエンスでしたか。

それでもパラナ州選手権およびコパ・ド・ブラジルの8試合で、6勝2分けの戦績-無敗でブラジルを後にしたマテウス。

「退任は個人的な問題、クラブとは関係ない。言えることは、もう二度と、家族なしでヨーロッパを出ない」。3月7日からチームを離脱して、ヨーロッパに戻っていたマテウスは、アトレチコ退任後のインタビューでドイツ紙に語ったという。

情報はすでに日本でも周知だと思うが、どうやらブラジルに単身赴任していたマテウスに対し、妻マリジアナ(marijiana...ムム、この名前、似てるなあ)が不満を現わしたらしい。一部のソースからは、離婚騒動にまで発展しているとある、「お父さんも辛いよ」。

事の原因はマスコミとの仲違いとされる。ブラジル在中に現地マスコミと一悶着あり、さらにドイツから追っかけてきたマスコミによる攻撃が、彼の失墜に追い打ちをかけたらしい。日本でもサッカー誌で記事が読めるジャーナリスト、ジュカ・キフウリ氏のブログ経由で知った。

ことの発端は、現地のオ・エスタド・デ・パラナ紙社会欄のベテラン・ジャーナリスト、ジャデル・ホシャという人物のインタビューをすっぽかしたことらしい。同時に、このジャーナリストが撮影したと思われる、マテウスが美人記者と一緒に歩いている写真がサッカー専門誌プラカールに掲載された(あっしは未確認)。

それに写真の説明には「マテウスと妻」のように書かれていた。間違ったのか、それともわざとなのか、真意はわからないが、マテウス家族には迷惑きわまりない。

さらに記事の内容がまた辛辣な部分があり、ドイツから追っかけてきた、いじわるな記者まで加筆して、「名声は世界トップだが、気むずかしさもまた、世界トップ」のような内容になっていた。そこでは、マテウスが州選手権の試合中に猛然と線審に食ってかかって、退場させられた事件などが取り上げられていた。

このシーンはあっしも観たが、マテウスはわざわざラインを超えてピッチの中に入って、線審と対面するようにして、顔をくっつけて、凄い形相でレフェリーを罵っていた(もちろんドイツ語で)。あそこまで審判の権威をないがしろにした行為は初めて見た。

この件は、スポーツ裁定に持ち込まれ、マテウスは辛うじて罰を受けずにすんだ。ドイツでこれをやっていれば、最低でも1月のベンチ入り停止はくらっていただろう。

つまり、マテウスは国内のマスコミと仲違いし、祖国ドイツのマスコミからも人格を疑われ(次期代表監督になるためのイメージを汚され)、そして奥さんからも写真の件について、追求される立場になり、もうカチカチ山のタヌキさん状態になったというわけ。

そしてトドメとなったのが、3月6日、滞在中のホテルで起きた騒動。この日、マテウスはホテルのロビーで「問題写真」の当事者ジャデル記者を見つけ、例の線審にしたように(ああ、あっしも固定観念に縛れる)、食ってかかったという。

パラナ州の上流社会の著名人をコラムに登場させる花形記者、ジャデル氏は再三マテウスにインタビューを望もうとしていたが、マテウスの方はありとあらゆる罵詈雑言を記者に浴びせるばかりで、まったく仕事にならない。とうとう、頭に血が上った記者はマテウスの顔面に右ストレートを見舞った。

そのあとどうなったかは、どこにも書かれていないが、翌日マテウスはブラジルを後にした。

マテウスはどこへ発った?おそらく、家族のいるハンガリーらしい(奥さんはセルビア人らしい)。ちなみに、そうであれば、「離婚賠償で200万ドル」とかいったドイツ発の情報はあまりアテにならない気もする。わかったのは、ドイツではマジでマテウスを潰そうとしている連中がいるのね。

そんなこと全てで、割を食ったのがアトレチコ・パラナエンセ。順風満帆だと思えた新プロジェクトが、いとも簡単に崩れ去った。マテウスが離脱した直後のパラナ州選手権の準々決勝で負けて敗退。すべてが水の泡に帰した。

ピッチ内の事情ではないといえ、これもサッカーなんですねえ…こんなに頑張っていたのに。

matatlet.jpg

投稿者 fhasebe : 11:26 | コメント (6) | トラックバック

2006年03月19日

アンデルソン・ルイス・デ・ソウザ

このいかにもブラジル人っぽい名前に、ピンときた人はきっとこの選手の大ファンに違いない。

あっしが、いま最も尊敬するこの選手はブラジル人ではない…しかし、ブラジル人だった。

いま最も素晴らしいミッドフィルダー、現代のプレッシング・サッカーで守備と攻撃の両方を司ることのできるモダンで理想的な選手-アンデルソン・ルイス・デ・ソウザ、通称「デコ」。1977年8月27日、サンパウロ市郊外、自動車産業で賑わう町サンベルナルド・ド・カンポ生れ。

彼の生い立ちを詳しく述べよう。デコの家族は、彼が2歳のとき、サンパウロ州の田舎にあるのどかな町、インダイアトゥーバに引っ越す。物心ついたときから、デコは家の前の道路で、裸足のまま仲間たちとボールを蹴っていたという。

実はデコのプレーにストリートの面影をありありと感じている。それは、ロナウジーニョやホビーニョのようなトリッキーな美技ではなく、小さなスペースをチョンチョンと使って囲みを打開していく。トラップをわざと浮かして、ポーンと囲みを上から超えていったりと、おそらく幼児期に備わった抜群の空間認識力のおかげだ。

9歳から近隣の都市、カンピーナスの少年チームに入団。ここでもう、今と同じポジション、フィールドの真ん中に君臨するミッドフィルダーだった。同年、地元のプロチーム、グァラニにスカウトされ、15歳まで所属。

ここから心機一転フットサルに転向する。それからの数年、デコは地元のフットサル・チームで活躍し、やがて給料を払ってくれるサンパウロ州内の名門フットサルチーム、パルメイラスやポルトゥアリオス(ホビーニョも所属した)などを転々と移籍したそうだ。

96年にまたフルグランド・サッカーに復帰、サンパウロ市に古くからあるナシオナルのメンバーとしてU21エイジの登竜門「コパ・サンパウロ」で活躍。翌年、名門コリンチャンスのユースチームに移籍し、97年の同大会で準優勝。

この年、20歳のデコは一旦コリンチャンスのトップチームに昇格するも、コリンチャンス側はデコにあまり興味を示さない。デコは名門クラブでチャンスを待つことを選ばず、代理人の支持でブラジル北東部アラゴアス州の無名クラブ、コリンチャンス・アラゴアノに移籍するも、同州の選手権に参加するために、CSAにレンタルされる(ここらへんの流れが、いまいち不可解)。

CSAにはたった40日ほど在籍しただけで、その才能を買われデコはポルトガルの名門ベンフィカに移籍する。当時のCSAのトレーナーの推薦状には「いずれ、セレソン(代表チーム)の一員になれる能力を持つ」と書かれていたそうだが、皮肉にもその代表チームはブラジルではなかった。

こうやって97年の1年間は4つのクラブを渡り歩いたデコだったが、ベンフィカと契約できて、やっとドサ周りから解放されたと思われた。だが、ポルトガルに行ってみると、ベンフィカは関連クラブとされる2部リーグのアウベルカにデコを登録する。

しかし、ここからがデコの見せ場。ポルトガル移籍早々の97-98年シーズンでアウベルカの1部昇格に貢献。シーズン終了後、ベンフィカに飼い殺しにされないために、同リーグ一部の中堅クラブ、サウゲイロスに強引に移籍。そして翌シーズン99-00に念願のビッグクラブ、FCポルトの一員となる。ベンフィカのフロントはこの失敗をどう自覚したのだろうか。

ポルトでは99年3月にデビューし、5シーズンにわたって在籍。とくに02年早々に移籍してきたモウリーニョ監督が合流してきてからの2シーズン(02-03/03-04)で国内リーグ(2回)、カップ、UEFAカップとチャンピオンズ・リーグのすべてを総ナメにした。ただし、よく「モウリーニョのポルト」と言われるが、このころからデコを見始めたあっしには、むしろ「デコのポルト」を強調したい。

デコが活躍するにつれて、ポルトガルの人々からは「帰化して代表入りしてほしい」という声もあがりはじめる。そして02年W杯後にブラジル人監督ルイス・フェリペ・エスコラーリが就任したこともあり、デコは03年3月ポルトガル国籍を取得し、ポルトガル代表でデビュー。

ポルトガル代表のユニフォームを着て最初に対戦した相手は、なんと祖国ブラジル。ここで、後半に投入されたデコは決勝ゴールをあげ、2-1でセレソンを下した。

それでも当時は代表チームのリーダー格ルイス・フィーゴの「帰化選手の代表入り反対」声明や、一部のファンからの反対の声などが話題になったが、翌年2004年のユーロカップでポルトガルの準優勝に貢献し、とうとう周囲から認められる。このときもデコは、大会のはじめはルイ・コスタの控えに甘んじていたが、徐々に中盤の要の選手として信頼を勝ち得、最後にはレギュラーの座をものにした。

当時を振り返って、デコはブラジルのマスコミにこう述べている。「ポルトガル代表入りしたのは、自分にすべてを与えてくれた、この国に恩返ししたかったから。それに、フィーゴやどの代表選手とも仲いいし、マスコミが騒ぎ立てるような問題はまったくない。だから、ポルトガル代表になって後悔したことはない」

もうひとつある逸話は、デコが帰化する前、セレソンのパヘイラ監督が「デコはセレソンは無理だ」と言ったとされる。昨年、バルセロナで行われたチャリティー・マッチに招待されたパヘイラ監督はデコに直接会いにき「すまない、実は君のことをよく知らないでマスコミに話してしまった」と謝ったそうだ。知ってれば、招集されていただろうか、これはブラジルのサッカー・ファンのすべてが一度は考えたことのある疑問だ。デコのスタイルを持つ選手はいまのセレソンにはいない。

decpor2.jpg

ユーロ2004直後に、ロナウジーニョが待つバルセロナに移籍。実は幸いにも、デコがチームに合流したジャパン・ツアーの練習を見に行ったことがある。ツアーでは怪我の治療中でプレーしなかったデコだが、練習場の片隅で、一人で黙々とリフティングしていた彼に何か強烈なものを感じた。

04-05シーズンのリーガ優勝に貢献したデコ。バルサのど真ん中にドーンと存在して、守備では飽きることなく相手選手を追い掛け、必要あれば猛然とスライディングする。そして、いったんボールを奪うと、自陣の深いところから、いとも簡単にボールをはたいて供給しながら、攻撃を組み立てる。

そしてセンターラインを超えたところから、一気に攻撃のアーティストに変身。ロナウジーニョ、エトオ、メッシといった個性派それぞれに見事に合わせながら、自らも相手エリア内に切り込む。バルセロナ強しといえども、デコのいる試合といない試合では随分、チームの連携の質が違う。

バルサのご意見番クライフからは「04-05シーズン優勝の立役者はロナウジーニョではなく、デコだ」とまで称賛されたほどだ。ロナウジーニョとの比較でも、ヨーロッパ・タイトルの数でいえば、圧倒的にデコの方が実績がある。

もともとあっし個人が一番好きな選手はファウカンだから、創造的なボランチを観るのが好きだ。才能あるプレーヤーたちが嫌がる、泥臭い追っかけプレーができ、怪我を恐れずスライディングにいき、そのうえ、チームの攻撃を組み立てることのできる選手なんかそうそういない。いまのセレソンにもいない。

もしも、ランプの魔神が現われて、あっしをプロ・サッカー選手にしてくれる、と言えば、デコのような選手になりたい。

いまW杯前のデコは、所属チームでも代表チームでも、サッカー選手のすべての夢を達成できる位置にいる。そして、子供の頃からコリンチャンス・サポーターだったというデコにとって、もうひとつの夢は、いつかコリンチャンスでプレーすることだという。

「バルサとの契約は32歳までなんだ。その後、コリンチャンスでプレーしたいな、とも思う。ポルトガル人になっても、心はいつまでもブラジル人だからね」

デビュー時から、数え切れないほどの逆境をはね返して、とうとうトップ・プレーヤーの称号を手に入れたデコ。その経験に満ちたバックグラウンドが醸し出すプレーは、本当に味わい深い。

Decport.jpg

「天才を見せつけるのではないが、ただ人々を勇気づけるような、そんな素晴らしい存在だ」

投稿者 fhasebe : 16:22 | コメント (11) | トラックバック

2006年03月15日

徐々にブラジル・サッカー情報も豊富に

最近ありがたく、一部のサッカー好きの知り合いからブラジル・サッカーに関する新着情報を貰うようになってきました。
メディアとしては、最近、発売された雑誌『FootBall LIFE』の増刊号でブラジル・サッカーの特集が組まれています。

さっそく買って読んでる最中です。内容は取材が難しいと言われるロマーリオのインタビュー、ブラジル・サッカーの諸史実、それにコリンチャンスのサポーターのなかでも最大のグループ「ガヴィオィンス・ダ・フィエウ」を束ねるリーダーへのインタビューなどもある。一番、気に入ったのがサントス下部組織で天才サッカー少年といわれるネイマール君の家庭環境を綴った記事(peixeさん、ご注目!)。
こんな表紙-

futmook.jpg

『FootBall LIFE』のサイトはここ:
http://www.foot-life.net/

あと、テレビ番組でいえば、ここのところNHK衛生でワールドカップ各大会の歴史を振り返った『歴史を変えたワールドカップ』シリーズが面白い。今週末は1982年スペイン大会が放送予定。
番組サイトはここ:
http://www.nhk.or.jp/spotai/

その前に、地上波フジテレビで『Ola!セレソン-セレソン密着これが世界最強ブラジル代表だ』(3/15日25:34~つまり今日!)という特番もある。この番組は、ブラジル代表の裏舞台を取材することで有名で、現地のブラジル人も見たことのないような控え室の中や、ホテルでの風景が記録されている。あっしは常に観ている。
今回のバンセンでは、例のジーコとマラドーナのチャリティマッチの風景も放映されるらしい。番組サイトはここ:

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/naedoko/index.html

とまあ、W杯に向けて情報を多く提供してくれる各メディアさんの努力に(いつもは批判的ですが、たまには)エールを送りつつ、楽しませてもらっている今日この頃でした。

投稿者 fhasebe : 03:18 | コメント (8) | トラックバック

2006年03月10日

ゴラッソ!!

「よう、あれ観た?凄いゴラッソだったな!」

「観たさ!すんげえゴラッソ!」

「あのドリブル」

「で、あのシュート、ずどん!」

「なんつっても、あの強引なドリブルだよな」

「しびれたぜ」

「あそこでエラスチコだろ」

「?…切り込んで、ランパード、テリーとカルバーリョを置き去りにしたんだよ」

「はあ誰そいつら?あのエラスチコだよ、DFの外側から通したやつ、はじめて観た」

「え、普通のドリブルに見えたけどな、テリーふっとばして」

「相手の背後にボールを回して、抜きざまにズドン!ブラジルでもやったことのないような」

「そうそう、ブラジルでもやったことないような」

「ゴメスのゴール右上につき刺さった」

「ちがう、キーパーはチェフだって」

「ゴメス!そのあとオシャブリくわえて大はしゃぎ」

「なんで、ロナウジーニョがオシャブリくわえるんだよ」

「W杯で対戦するヒディングも、また一人セレソンにやべえ奴が現われた、と思ってるんじゃない?」

「はあ?」

「リヨンの“ふれっじい”のことだよ」

噛み合わない話を創作するのも大変。ロナウジーニョのチェルシー戦のゴールの凄さは、もうここで取り上げる必要はないが、リヨン×PSV戦のフレッジのゴールはちょっとした芸術品だった。もし、観る機会があれば、ぜひ観て欲しい。

この選手の器用なこと。どんな形・姿勢でもゴールできる、シュートまたはヘディング、トップスピードまたは止ってターンしてズドン!ガツーンと合わせるか、つま先でちょいと軌道を変えるだけだったり、とにかくバリエーションに尽きない。何にでも合わせられる「無形」のスタイルといえる。

21歳のFWフレッジはいま、リヨンでカリューの控え。後半にスーパーサブとして起用され着々と実績を残している。この無理のない扱いが、むしろ良いのかもしれない。オシャブリをくわえるゴールパフォーマンスの意味は知らないが「甘ちゃん」ぶりが面白い。

話変って、ロナウドの件-「昨日のスーパースターは今日のよごれ役」。今日、バルセロナのロナウジーニョのスーパーゴールに拍手を送る人々の一部も、いずれロナウジーニョが輝きを失ったら彼を非難するだろう。それもサッカーだから。

でもロナウドは、自分に「真のファン」たちが残っていることを忘れてはならない。すくなくとも、ブラジル・サッカーにとってロナウドは救世主だ。

チュパ!

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投稿者 fhasebe : 11:34 | コメント (11) | トラックバック

2006年03月08日

ブラジル1×0ロシア

やっぱりトロピカルなチームは極寒でプレーすべきではないね。

3月1日、モスクワ、ロコモティフ・スタジアム。
セレソン対ロシア戦は煮え切らないどころか、凍えそうな内容の試合だった。

多彩な攻撃どころか、90分間ほとんど自陣でボール回しに徹したセレソン。ロシアに押し込まれる時間帯もあり、辛うじて勝利できたといってもいい。

摂氏マイナス10度、積雪を解かしたあとのぬかるんだピッチで、セレソンのサッカーも縮こまった。GKホジェリオ・セニが久しぶりにスタメン復帰し、右SBにはシシーニョ、足首を痛めたロナウジーニョの代わってヒカルジーニョでスタートした。

一方、ロシアはクロアチア同様の3-4-1-2といった感じでセレソンに、一泡ふかせてやろうという意気込みたっぷりで望んだ。

試合は前半早々の14分、ロベカルのロングシュートをトラップしようとしたロナウドがボールの軌道を変えて先制ゴール。セレソンは条件の悪いピッチでなんとかボールをキープしようとチーム全体がパス回しに徹した。

それでも、ロシアのプレスでボールを奪われること多々、一本のパスで相手のFWに裏をとられるルシオとフアン。とくにルシオは右SBのシシーニョがサイドハーフ気味にポジションを上げてしまうので、カバー範囲が大きかったようだ。

GKセニの足技は華麗で、最終ラインのパス回しになんの遜色もなく参加していた。それにDFを統率するリーダーシップが凄い。セニの長所が随所みられた。

後半に入ると、セレソンはヒカルジーニョに代えてなんとエジミウソン投入。たぶん前半はスポンサーの要望に応えるためにフルメンバー、後半からは実験という意味合いがあったようだが、パヘイラは久しぶりの3ボランチを実行。ついでにフアンに代えてクリスを試す。ディフェンシブになったセレソンに、ロシアは猛然と仕掛けてくる。

ときに、プレミアのチームのような下がり気味の4-4-2になってしまうセレソン。ロベカルもシシーニョもサイドからほとんど崩すことなく、ロシアの3バックをロナウドとアドリアーノの二人で真ん中から突破しようとするが上手くいかない。

さらにロベカルに代えてグスターボ・ネリ、エメルソンに代えてジウベルト・シウバ。チームは明らかに中盤でのビルド・アップが遅く、ボールを失ってはDFラインの裏を通されるか、またはシシーニョの裏のスペースを使われていた。

後半30分以降、ロシアは2度ほどの決定的な得点チャンスがあったがモノにできない。セレソンはカカに代えてジュニーニョ・ペルナンブカーノ、ロナウドに代えてフレッジを投入。フレッジが少し下がり気味でボールを受け始めてから、中盤で少しタメができるようになった。

ロナウドは試合中ほとんどのパスを失敗した、こりゃあまた去年同時期と同じ重傷だ。W杯まで帳尻を合わしてくればいいが、所属クラブであるレアルの内情も穏やかじゃないし、かなり心配だ。ロナウドにはあまり復活の猶予が残されていない。

最後はなんとか持ちこたえることができて、試合終了。セレソンの欠点が多く露呈した試合だった、と言いたいが、たぶん1点差で勝っているときの逃げ切りパターンを想定した戦いだったのかもしれない。エメルソンとエジミウソンとジウベルト・シウバの3人の絡み合いを確認したかったはず。それにしても、ゼ・ホベルトの華麗さには相変わらず見とれるなあ。

でも連続した時間帯に相手に差し込まれるとDFにほころびが生じていた。これまでは中盤でのキープ力でカバーしてきた感じがあるが、今回はロナウジーニョもいなかったし、他の選手達の活躍もなかった。

DFラインの上げ下げ、裏へのケアはどんなチームでも同じで、すぐ対応できる問題ではない。ルシオやフアンなど特定の選手の問題ではないと思う。5月の合宿で時間をかけて改善しなければならない課題だ。

とにかく暖かいところで練習しようね。

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BRASIL 1 x 0 RÚSSIA

Data: 01/03/2006
Local: Lokomotiv Stadium, em Moscou
Árbitro: Massimo Busacca (SUI)
Auxiliares: Francesco Buragina e Matias Arnet (SUI)
Gol: Ronaldo, aos 14min do primeiro tempo

Brasil
Rogério Ceni; Cicinho, Lúcio, Juan (Cris) e Roberto Carlos (Gustavo Nery); Émerson (Gilberto Silva), Zé Roberto, Ricardinho (Edmílson) e Kaká (Juninho Pernambucano); Ronaldo (Fred) e Adriano
Técnico: Carlos Alberto Parreira

Rússia
Akinfeev; A.Berezutski, Alyukov, Ignashevich e V.Berezutski; Aldonin, Zhirkov, Smertin e Arshavin; Loskov (Bilyaletnov) e Kerzhakov
Técnico: Alexandr Borodiuk

投稿者 fhasebe : 09:27 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月07日

クロアチアかあ…

3月1日、スイス・バーゼル
「クロアチア3×2アルゼンチン」

やっと仕事で一息つけたので、試合観ることができました。

この試合、なんとクロアチアが勝っちゃったもんだから、W杯で対戦相手の日本やブラジルなどのマスコミは異口同音に「クロアチア強し!」と騒ぎはじめた。

試合スタッツ:
Croatia - Argentina 3-2 (1-2)
Strijelci:1-0 Klasnić (3), 1-1 Tevez (4), 1-2 Messi (6), 2-2 Srna (52), 3-2 Šimić (90).
CROATIA (HRVATSKA): Pletikosa - Šimić, Tudor, Tomas (Tokić, 46) - Srna, N. Kovač (J. Leko, 83), Modrić (I. Leko, 84), Babić - Kranjčar (Buljat, 90) - Klasnić (Olić, 75), Pršo (Petrić, 90)
ARGENTINA: Abbondanzieri - Coloccini (L. Gonzalez, 60), Burdisso, Samuel - Ponzio, Demichelis, Cambiasso - Messi, Riquelme, Tevez (Aimar, 68) - Crespo (D. Milito, 75)

日本でも駅のキオスクに並んだスポーツ新聞はこぞって『ブラジルより強いクロアチア』とタイトルに掲げ、テレビのサッカー番組も同内容でとにかく日本代表ファンの不安を煽る。

一方、ブラジル現地でも同じで、なんとセレソンのテクニカル・スーパーバイザーを務めるザガロ氏までもが「クロアチアの試合を観て、ブラジルの優位性は消し飛んだ」なんて言ってしまい、もう大変。

あっしも慌ててNHK衛生で放映された試合を観たわけですが、こんなときはテレビの音声を消して、ただひたすら観る。観客の声援が聞こえないのが残念だけど、余計な情報・雑念がなくて好都合。自分でしっかりメモをとってみた。

それでさっそく結論。この試合、なんといっても両チームのミスが目立った。5得点のうち、4得点は両チームのDFミスのような気がする。もちろんトップレベルのマッチアップには違いないが、真剣度に関しては、まだピークに至っていなかった。

面白いのは、両者とも互いに3バック。それに対して前線のFW3人がディフェンダーと一対一になるようプレッシングを仕掛け、ボールを奪おうとする。つまりFWがDF陣を狩るという逆転現象が起きていた。

アルゼンチンは3-3-1-3で、リケルメがど真ん中にいて前線のメッシ、クレスポ、テベスの3人を走らせる。

クロアチアは3-4-1-2気味で、トップ下にニコ・クラニチャル、2トップにクラスニッチとプルショ。さらに両サイドは右にバビッチ、左にスルナが崩しにくる。中盤の真ん中ではニコ・コバチと初出場の新鋭モドリッチが攻守でチームを支えていた。CBの真ん中はトゥドル、ユーベのロベルト・コバチは出場せず。(とまあ、名前は一通り覚えることができたぜい!)

互いの3バックをどう攻略するかがポイントになったと言ったが、違うのは、アルゼンチンはテベスとメッシが開いて受けると縦ではなく、中に切れ込んでいく。一方、クロアチアはFWと中盤で組織的に縦を崩していった。

クロアチアの良いところは中盤から全ての選手が攻撃参加できること、そして全員が守備意識をもって90分間懸命に走ること。何度も、何度も同じ形を繰り返して相手を崩そうとするのは、芸術センスに溢れる東欧サッカーといえども、ヨーロッパサッカーの定石を踏んでいる証明だ。ただ、そのおかげか、試合の流れを変えてしまえるような別の戦術バリエーションが無いようにも見えた。それに個人技で突破しにくる選手もいなかった。

まあ、隠している部分もあるはずだから、結論づけるのは早いが、クロアチアのサッカーは見た限りではけっこう単調だった。だけど、日本代表のように両サイドの守備と空中戦に自信のないチームにはこの単調さこそが驚異ではないだろうか。

アルゼンチンなどは、後半2-2の引き分け状態から“肉屋”コロッチーニを下げてルーチョ・ゴンサレスを右側の守備的MFとして投入(それまで中盤右にいたサラゴサのポンツィオを右側のCBへ下げる)。これで、ボールキープ力が上がり、更に波に乗れていなかったテベスに代ってアイマールを前線の左に。リケルメ、メッシ、アイマール、ルーチョの4人が揃った後半23分から一気に試合の主導権を奪った。

こうしてアルゼンチンはそれまで激しい競り合いが続いていた試合をいとも簡単にコントロールしはじめた。懐の深さでいえば、アルゼンチンの方がクロアチアよりも遙かに上だったといえる。

ところで、メッシのドリブルは必ず縦を向いて左脚で内側に切り込んでいくだけなのに、DFは止められないんもんだなあ。これに対向するために、右利きのSBを左に置けばどうなるか。チェルシー戦でパウロ・フェレイラがそれをやってメッシが消えた気がするが(モウリーニョってやっぱり凄いのか?)でもそうなると、メッシもアホじゃないから、左サイドに動いて、右サイドのスペースを開ける。

mescroac.jpg

ロナウジーニョも逆サイドで右脚を使って同じスタイルだし、まあ彼等はマラドーナの息子たちだから、素人発想ではなんともならない。この試合は、クロアチアの「怖い単調さ」、アルゼンチンの戦術バリエーションを知った事が収穫だった。

ロスタイムのクロアチアのゴールは偶然っぽかったが、でも確かにアルゼンチンのDF陣はイマイチ。GKの“パト”アボンダンシエリの評判もまったく芳しくないんだな。試合後、ペケルマン監督は「不安定な状態でW杯に乗り込んだ方が期待できるかもね。すくなくとも前回のような落胆は味わなくてすむ」といったニュアンスのコメントを残しているが、この人けっこう神経ず太いねえ。

「死のグループ」で勝ち残るには、いま手の内を見せるわけにはいかないのだろう。アルゼンチンは明らかに奥の手を隠し持っている。

セレソンにしてみれば、クロアチアはむしろやりやすい相手ではないだろうか。もちろん負ける可能性だってあるが、クロアチアが3バックで攻撃的にくれば、一対一の場面が多くなりセレソンのカルテットはやりやすい。あとは両サイドがどこまで彼等の突破攻撃に耐えることができるかに尽きる。

その肝心のセレソン、氷点下10度のロシアで凍えそうになってスポンサーに命ぜられた親善試合を消化したそうな。試合は今日(3月7日)19:10、NHK衛生第1で放映されますよ。

クロアチアが勝った試合。そんなに大騒動するほどの内容でもなかった(って思ったのはあっしだけかも)。

投稿者 fhasebe : 01:06 | コメント (2) | トラックバック