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2006年01月26日
ルシェンブルゴ開口
サントスFCの指揮をとってはや1月、チームの下準備も軌道に乗り始めたのか、ルシェンブルゴがはじめてレアル解任劇についてテレビ番組で語った。
ルーシャ退任後、調子が少しずつ上向きにあるレアルのチーム事情について、あっしも、ここでとやかく言うつもりはない。ルーシャがレアルで過ごした1年足らずの期間は貴重な経験だった。
あっしの興味は、ただブラジル人監督がなぜスペインまたはヨーロッパで失敗するのか、彼等が成功するためには何が必要なのか、あっしなりに考察してみたいと思った。
今週のテレビ番組で、ルーシャは相変わらず熱の入った口調で、単刀直入に語った。
「なぜ解任されたかって?俺はレアルで、そこらへんにゴロゴロいる、ただのヘボ監督のように扱われた」
「ブラジルじゃあ、誰も俺をぞんざいに扱うクラブはいない。だれも、シーズン中にタイトル争いの真っ直中で俺を解雇したりしない。俺を雇うということは、チームの命運を俺に預けるということだから」
「ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴという名前は一度もレアルのクラブ内で認知を得なかった。彼等は私の歴史を無視した。ブラジル・サッカーの歴史を無視した。ヨーロッパでは、ブラジルのことを“世界で最も優秀なプレーヤーを供給してくれる国”としか認めていない。ただそれだけだ」
「その証明が、おれの契約書だ。ヨーロッパに行ってわかった。俺の契約書とモウリーニョ、ファーガソンとかの契約書との大きな違いが。いまカペッロがレアルに要求していることを見るがいい。これこれの選手を揃えないと、チームの指揮をとらない。俺も、就任前にああいう風な主張をするべきだった」
「俺のレアルでの戦績は44戦27勝11敗6分け。同時期のライカールトよりも4ポイント多く獲得している(注:バルサとの比較について、あっしは未確認)。なのに、ちょっと調子を落としただけでクビだ。ペレス会長の俺に対するリスペクトは皆無だった。」
「いや、はじめからリスペクトは無かった。だから、最後にペレス会長にかましてやった」
ルシェンブルゴは契約破棄にともない、残り半年分あまりの期間分の支払いをレアルに請求、スペイン・プロサッカー協会の裁定で権利を勝ち得た。レアルから支払われる金額は100万ユーロ程度。
「いい勉強になった。ヨーロッパに行ってから頑張るんじゃないんだ。行く前に、自分に有利な契約条件を結んでおく必要があるんだ。超一流になるには、フロントにいいようにやられないよう、こっちが先手をうっておくんだよ。俺はこれで一回り大きくなったぜ、いつかまたヨーロッパに戻る」
ルーシャのこの尽きないエネルギーが好きだ。
ブラジル人監督がヨーロッパで名声を得る日はまだ遠い。それは、ピッチ上の実力うんぬんだけの話ではないことをルーシャのケースが物語っている。もちろん、ルーシャにも技術面で及ばないことは多くあった。だが、彼はずっと“アウェー”で戦っていたのである。
スペイン人やヨーロッパ人の監督がいとも簡単に解決できる言葉の壁、私生活の安静、マスコミからの防衛などは、非ヨーロッパ人の監督には予想もしない障害となる。その上、フロントからのバックアップも不十分とくれば、たまったもんじゃない。今シーズンから、アトレチコ・マドリードの指揮をとったカルロス・ビアンキも今月解雇された。ビアンキといえば、日本でもトヨタ・カップでお馴染みのスーパー監督だ。
サッカーから話をそらして、我々個人の問題として考えてみよう。職場やあらゆる活動の場で、上司や上の者から自身の能力を認められなければ、実力を発揮できる人間などいない。まして、はじめから疑われていればどうか、あなたがスバ抜けた才能の持ち主でもないかぎり、大きな成功は望めない。どんな職種でも、第一線の世界で仕事するときのプレッシャーは半端ではなく、個人一人の能力で乗り越えられるものではない。
このことを人生について、仕事や友情や恋愛について自覚している人は“経験者”だといえよう。それに、日本のサッカー・ファンも今は選手レベルだが、いずれ日本人の監督が世界のトップリーグで活躍する日が来ることを望んでいるだろう。
まあ、ルーシャが訴えたかったのはそういうことで、これについてトスタンなどは興味深い経験談と言ったが、「つまり、ブラジルにいる時みたいに、尊敬されてチヤホヤされたかった訳だ。ヨイショされないと実力を発揮できない、ということかな?」と鋭くつきはなした。
「目立ちたがり屋」たしかに、これがルーシャの人間性のもう一面。でも、カペッロといい、モウリーニョといい、それに先日の醜聞エリクソンといい、トップの監督は強烈なクセがあるものだ。バルサのライカールトも大人しくみえて、ディレクターの一人サンドロ・ロセールを追い出してまでクラブ内での地盤固めに勤しんだ。監督業こそ、まさに弱肉強食の世界なのだろう。
「もうヨーロッパのクラブの甘いオファーには簡単に乗らないよ。成功するには、圧倒的に自由に仕事させてくれる条件が前提さ」
周りがなんと言おうが関係ない、ルーシャが身を削って得た教訓だ。
投稿者 fhasebe : 21:49 | コメント (2) | トラックバック
2006年01月24日
アルゼンチン国民アンケート
今回はアルゼンチン代表チームについての話題。
アルゼンチンで最も発行部数の多い新聞「La Nacion」が行った「W杯に行ってほしい選手アンケート」をCheckした。
タレントの宝庫である隣国のこんなアンケートからも、面白い考察が沢山できる。
ブラジルが最もライバル視し、同時に尊敬するのはアルゼンチン・サッカーである。アルゼンチンという存在がいなければ、ブラジル・サッカーのレベル維持、向上もなかった。今季早々、リベルタドーレス杯に参加するクラブたちの準備の凄まじいこと。すべてはアルゼンチン・クラブを筆頭にライバルたちに勝つためだ。
アルゼンチンの人々のサッカーに対する熱視線は半端じゃない。アルゼンチン・サッカーの奥深さは敬意に値する。あっしも、いつかラ・ボンボネーラのスタンドに立ち、ボケンセの熱狂ぶりを直に感じたいと思っている。
とはいっても、アルゼンチン・サッカーについて注目するのはリベルタドーレス杯など、ブラジルのクラブと対戦するときだから、いまいち情報を追っかけていない。
昨季のアルゼンチン代表は、ブラジルにことごくタイトルをさらわれ不満が募っている感じだったが、ワールドユース制覇の原動力となっったバルセロナの17歳のメッシの出現で後半は一気に希望が復活した気がする。
代表チームはメッシを中心に、どんどん世代交代が始まろうとしている。それに加え、ブラジル・サッカーファンにとって、コリンチャンスに移籍してきたテベスの活躍は目を見張るものがあった。テベスがもたらしたガチンコ・スタイルはブラジル・サッカーに良い影響を与えたことは疑いの余地がない。
それで、アンケートの話に戻るが、リンク先はここ:
http://www.lanacion.com.ar/deportiva/nota.asp?nota_id=774642&origen=relacionadas
アンケートで最も投票数が多かったのが5838票で並んだFW部門のメッシとテベスの二人。FW陣はクレスポ、そして新星アグエロと続く。
中盤はリケルメがダントツ、続いてダブル・ボランチのマスケラーノ、カンビアッソ。次いでアイマール、あっしの好きなルーチョ・ゴンサレス、そしてガーゴ。
DF陣はソリンがダントツトップ。ソリンはDFであり、MFであり、FWでもある型破りな選手。次いで、アジャラ、サネッティ、コロッチーニ(あっしの嫌いな選手)、ハインツェと、ここはいつもどおりのメンツだ。いや、DFこそアルゼンチンの最大の弱点になるだろう。
アルゼンチン代表が進化しつづけるには新顔の台頭が不可欠。メッシの才能はバルサですでに開花しているが、彼と同年代でWYでチームメートだった18歳のセルヒオ・アグエロ(インデペンディエンテ)への期待も高い。
と同時に、一時はアルゼンチン・サッカーの将来を背負うと言われたアイマールとサビオラ(ピエロとウサギ)だが、その真価を見せる前にメッシ世代に喰われちまう危険がある。
さらにボカでボランチでプレーする今年20歳のフェルナンド・ガゴ。あっしはよく見てないが、ここらが国民が望む新風のようだ。国内には他にもロドリゴ・パラシオ(ボカ、24)、ルカス・カストロマン(ベレス・サースフィールド、24)などの攻撃的選手がいる。
ブラジルの人口の半分も無いのに次々と現われるアルゼンチンの才能たち。それは、いうまでもなく優れたコーチ陣が存在するからであり、そこに「伝統と奥深さ」を見てとれる。
アンケートで何が共感できたかというと、国内でプレーする新しい才能たちをアルゼンチンの人々はプッシュしていること。若き才能を保留するという意味では、アルゼンチンの方がブラジルよりしっかりしている。アルゼンチンのビッグ・クラブの会長たちは「この選手は3年間ここに留まる」と公言したら、そのとおりになる。
アルゼンチン人選手たちもヨーロッパに行って金、金としゃかりきりにならない、毅然とした姿勢が伺える。たとえば、代表の10番を背負うリケルメなんかはスペインで中堅どころのビジャレアルというクラブに非常に感謝しており、プレーにもその姿勢が滲み出ている。あれだけの才能の持ち主なのに、スポットライトを気にしない。テベスもいったんピッチを出れば「スラム魂」は潜みシャイで大人しい。ここらへんにブラジルとアルゼンチンの文化の違いを感じる。
ブラジルのクラッキたちに関して言えば、いとも簡単にクラブを去っていってしまう。それは良いのか、悪いのか、なんとも言えないが、あまりにも金銭主義で倫理観が欠如しているように見える。それは選手だけが悪いのではなく、フロント、代理人、それに制度などの問題だろう。
「23歳まで海外移籍を禁ずる」といった制度が作られてもいい。もちろん、これは労働法に触れるから無理な話だが。なんとか、同効果の制度で留まらすことができないものだろうか。去年17歳でグレミオを牽引したアンデルソンなんかはグレミオで歴史を作る前にポルトに行ってしまった。勿体ない話だ。
あっしのインテルも、近年ではダニエル・カルバーリョ、ニウマールが20歳そこそこで海外移籍し、いま期待の星ハファエル・ソビスにオファーが殺到しており、移籍は必然だ。インテルにかぎって言えば、他にもルシオ、ファビオ・ホッケンバック、ディオゴ・リンコンなど出身選手だけを保留していれば凄いチームを作れた。クラブで育った選手がビッグタイトルを獲ってくれる前に移籍していってしまう。ルシオ以外、ヨーロッパでは一流選手として扱われてもいない。「移籍金がなんぼのもんじゃい。誰が儲かっとんのじゃい!?」とサポーターとしては、やるせなさを広島弁で吐く。
早かれ、遅かれ、タレントは持って行かれる。新陳代謝の速さがブラジル・サッカーの良さだ。という人もいるが。
だがセレソンに対する親近感も、チームの半分ぐらいが国内組の方がより高まるに決まっている。いまのセレソンの招集は、サポーターから見て「田舎の同窓会」的な印象を与えるときがある。合宿所では、選手達は互いに“都会”での成功話ばかりしている気がしなくもない。「ワシら田舎のモンなんけえ忘れとるけんのう」。そればっかりではない、と知りつつも。
そんな、国内組の懐かしさをちょっぴり感じさせてくれたのが、アルゼンチン国民が投票したアンケートだった。もちろん、アルゼンチン代表も圧倒的に海外組で構成されることになるだろうが、アルゼンチンの人々の微かな気持ちを感じ取れた。
ボカのホーム・スタジオ「ラ・ボンボネラ」は一度行ってみたいな

投稿者 fhasebe : 09:50 | コメント (4) | トラックバック
2006年01月23日
ロマーリオ40
いやあ、凄い。リオのLegend、ブラジルのLegendだ。
2006年1月29日、ロマーリオ40歳、現役ゴールマシーン。
いやー、おかしいな。1年前に引退表明して、セレソンでお別れ試合(二つ)までして、そこからブラジル選手権の得点王になった。“バイシーニョ”(チビ)は凡人の理解をはるか越えている。そしてロマーリオは今年、新しい「プロジェクト」をぶち立てた。
今回は写真を一杯使っていこう。
2005/01/22 Vasco × Botafogo

ロマーリオ、1985年8月18日生れ。
19歳でバスコでプロデビュー、しょっぱながら2ゴール。

87年アイルラオンド戦でセレソン初選出。88年ソウル・オリンピック

88年にはオランダのPSVに移籍。同年、トヨタカップで来日。93年はバルセロナ移籍、クライフのもとリーガ優勝。

94年にはセレソンを背負ってW杯優勝。ロマーリオがいなかったら、あの優勝はなかった。
94年W杯MVP。

94年世界最優秀選手。「ロマーリオとパリュウカ」

95年フラメンゴ復帰、リオの各クラブやバレンシアを転々としたあと、昨季からバスコ・ダ・ガマで落ち着いている。

タイトル以外にも、サポーターとのいざござ、98年W杯で最後の最後にメンバーから外した当時のザガロ監督やジーコTDとの確執が有名である。リオではジーコ派とロマーリオ派の対立がある。エジムンド、ロベカルやロナウドとの口論もあった。試合中で凡ミスをした自チームのCBをぶん殴ったこともあった。
「ゴールを決めて、相手チーム・サポーターを挑発する」

「練習を邪魔しに来たサポーターをひっぱたく」

生涯ゴール数、本人申告:947ゴール(うちセレソン70ゴール、歴代2位)。そして、ここからがロマーリオの現役最後の大目標のはじまり。名付けて「1000ゴール・プロジェクト」。ロマーリオは1000ゴールあげないと引退しないと公言した。

公言してからというもの、ポンポンとゴールをキメはじめているから、摩訶不思議。所属するバスコもロマーリオのために、シーズン・オフでも親善試合を組むという。
試合相手はアメリカのアマチュア・チームや国内の2部、3部チーム。すべてはロマーリオがゴールを上げるために。これには、反対派のサポーターたちの抗議があるが、本人は「アマチュア・チームとの親善試合だろうが、W杯の試合だろうが、俺にとっちゃゴールはゴール」と平然としている。いずれにしても、40歳であと53ゴールは厳しい条件だ。昨シーズンは(驚異の)35ゴール、今年はどれだけいけるだろうか。
なぜ、ここにきてロマーリオは金字塔を建てようと思い立ったのだろうか。消えかかっていた情熱が蘇ったのには、ある出来事があったはずで、それは彼のプライベートにあると憶測するが、まあ、このことについて追求するつもりはない。
もうかなり前から、ロマーリオは練習したいときにしか、しない。試合では最低最小限しか走らない。試合中にたったの一回か2回、エリア内でフッと現われて、トラップしてシュート、ゴール。トラップしてシュート、ゴール。全部、コースにきっちりといく。なんで、そんなに全てが見えてるのか?

ロマーリオについて話すと切りがない。ロマーリオはいつまでもブラジル・サッカーのシンボルとして存在しつづけるし、引退してもフロントの人間になろうかなー、と本人がいっていた。
実はロマーリオはバスコ、フラメンゴ、フルミネンセといったリオのビッグクラブに金銭的な“貸し”がある。「引退してから、どこで何をしようかな」とバイシーニョはほくそ笑んでいるのである。まさに、Legend的な存在だ。
「ヘヘヘー」

投稿者 fhasebe : 23:29 | コメント (4) | トラックバック
2006年01月21日
孫子とセレソン
W杯イヤーシーズンが開幕しつつあるブラジル。国内の各クラブがしのぎを削ってチーム作りをしているなか、セレソンも始動した。
今週、仕事始めに「Wカップを獲りにいく」と宣言したブラジル代表パヘイラ監督が記者会見をした。監督として最後のW杯に挑むパヘイラはどこか威風さえ漂う表情で、W杯にのぞむ心境を語り、なかでも前任者フェリポンから受け継いだ必勝の書『孫子の兵法』についてコメントした。
(前エントリーでイングランド代表エリクソンをけなして、こちらでパヘイラをヨイショしてます、ハイまこと)
『孫子の兵法』、ブラジル版のタイトル『A Arte da Guerra – Sun Tzu(戦さの芸術-孫子)』はかつてナポレオンが愛読したり、何百年も前から西洋で読まれている。フェリポンは02年W杯の試合前ブリーフィングで『兵法』の箇所を選手たちに読み聞かせたという。
たとえば、フェリポンが好んで話したのが「勝つべからざる時は守り、勝つべき時は攻めなり」だという。ドイツが攻め上がってくれば、体裁かまわず、ひたすら守れ。守りきったあと、こぼれ球をロナウドかリバウドにつないで、チームが一丸となって攻めろ、といった感じだろうか。
フェリポンから孫子を引き継いだ“パヘイラ軍師”がいうには「今回のW杯、各国は結託してブラジルの連覇を阻止しにくるだろう」。指標とされる立場にいて相手の攻めをどう受けて立つか、ブラジル固有の挑戦だ、といった。そのために彼は、あらゆる影響、知恵、過去の書物の研究もいとわない。(バレーボール代表チームのベルナルジーニョ監督からもアドバイスを受けている)
実はパヘイラの監督としての原点はヨーロッパ、ドイツにある。彼は70年W杯でザガロ監督のもとフィジカル・スタッフとして従事したあと、監督になるべく、74年W杯を優勝したドイツの代表監督ヘルムート・シェーンのもとで学んでいる。ブラジル国内ではヘッピリ腰と呼ばれるほど前例を見ない徹底した守備への意識は、このとき磨きがかかった。
セレソンではCBまで攻撃参加したってかまわない。ルシオがボールを持って駆け上がるとき、あっしなんか身震いがする。彼がボールを失おうが知ったことじゃない。そんな世界一攻撃的なプレーヤーたちをしたがえるのが守備思考のパヘイラだ。このギャップは何年ものあいだ、本当に不思議な歪みを生み出してきた。だが、それもあと5ヶ月で終わる。パヘイラが有終の美を飾ろうと、昨年ごろから少しずつ攻撃的な思考に妥協しつつあるのはわかっている。
何はともあれ孫子は面白い、前からブラジル・サッカーのスタイルを中国思想にあてはめて見たかったから、ここで孫子の名言を使って、ちょっくらやってみよう。
「彼を知り己を知れば、百戦してあやうからず」
名言中の名言。ブラジル・サッカーの伝統を理解し、それを背負っている自覚があれば、自らのスタイルに疑問を感じることはない。あとは相手のサッカーを見抜き、いかにして封じるかだ。
「百戦百勝は善の善なるものにあらず、戦わずして敵の兵を屈するは、善の善なるものなり」
これは、サッカーでは一見不可能に見えるが、つまり、ピッチに立つ前にすでに心理面で勝っていること。セレソンの強烈なスタメン・リストを見て、相手チームが戦意を失ってくれれば…でも、いまのサッカーでは、あまり考えられない。
「必死は殺され必生は虜にされる」
これは、ドリブルに例えられる。強引にドリブルしようとすれば、あまり成功しない。かといってドリブルをせず、無難なパス回しに逃げれば、いずれボールはカットされる。そぶりをみせず、フェイントで相手を抜くのが良い。
「死地に陥れて然る後に生く」
“背水の陣”と同解釈。これが、パヘイラにとって性格上、最も難しいところ。DFを薄くして、相手に点を入れられるリスクを犯してまで攻撃できるか、どうか。そのような状況、たとえば後半35分で1点差で負けているとか、になってみないと分らない。むしろ、相手にこれでやられることが充分考えられる。
「およそ戦いは正をもって合い、奇をもって勝つ」
これはフェリポンが最も得意としたやり方だった。正当法で敵とがっぷりと組み合いながら、ひょんな奇策で勝つ。02年ではロナウド、リバウド、ロナウジーニョ(とデニウソン)たちのイマジネーションを存分に生かした。あのセレソンは見た目以上に強かった。
「よく戦う者は、不敗の地に立ちて敵の敗を失わざるなり」
これがパヘイラのもっとも得意とすること。絶対負けない体勢・戦術をとり、敵のミスを待ち、そこを突いて勝つ。だが、そのおかげで“へっぴり腰”のレッテルを貼られた。
「用いるも之に用いざるを示せ」
できるけど、できないフリをする。ここらが妙味。クロス中心の空中戦や、カテナチオばりの守備固め。随所で使用できれば無敵だ。世界クラブ選手権で来日したサンパウロFCなどが良い例だった。
「疾きこと風のごとし」
これはロナウドにあてはまる言葉。正確には「疾きこと風のごとし、遅きことデブのごとし」と付け加える。ロナウドほど神秘的な選手はいない。
ほかにも孫子は古来から共通する戦さの条件:大義名分、費用、利益、智将の条件などについて述べているが、巨大なプレッシャーのもと戦われる今のW杯に通ずる知恵ばかりで、パヘイラが引用するのも分る。
あっしは個人的には老荘思想の方が好きだが、今の天下のセレソンにはあまり当てはまらない言葉が多い。老子はむしろ、セレソンが負けたときの戒めの言葉としてはまる気がする。「無用の用」(アレックスをつれて行っとけばなあ)とか、「滅ぼすには、より大きくすればいい」(名声が異様に膨らんだ今のセレソンが負けるとき)。
いずれにしても、サッカーと中国思想を組み合わせるのは面白すぎる。
仙人は無限の頂にいた

投稿者 fhasebe : 12:53 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月17日
UK醜聞トラップ
セレソンでこんなことが起きれば、間違いなくチームは空中分解するだろう。
エゲレスのマスコミはおっかねえ、アストンヴィラを買収するアラブの大富豪を装って、とある大衆ペーパー「News Of the World」がイングランド代表エリクソン監督と偽の交渉に成功した。
巨万の金をちらつかせられたエリクソン代表は喋った、喋った。こんな本音トークを聞いたのははじめてだ。エゲレスのマスコミの罠は怖ろしすぎる。ゾクゾクッ!
でも、冷静に考えれば、この記事は我々のような一般サポーターが知ることのできない情報の宝庫ではないか。クラブ・オーナーと監督の会話だ。いまのサッカー・ビジネスを読み解く「ロゼッタ・スートン」と言えば大袈裟か。
先週末にイギリスのマスコミで超話題になったが、なぜか日本やスペインやブラジルのマスコミは小さく取り扱っている。
ちなみに、スポーツナビの記事はこれ:
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20060116-00000106-jij-spo.html
イギリスはちょっとあっしの専門外で、向うの熱の入り方がいまいちつかめない。それにプレミアリーグのクラブの力関係とかも、よく知らない。それでも、自分の理解できる範囲で考えても今回のスキャンダルは衝撃的だった。
ひっかけを企画した大衆タブロイド「News Of The World」の衝撃のリポートは下:
http://www.newsoftheworld.co.uk/story_pages/news/news1.shtml
なんと、偽の会談は録画・録音され、そのストリーミング・ファイルまでリンクされている。
内容については、会話のニュアンス(“含み”ってやつ)がわからなくて悔しいが、事実だけを羅列すればこう:
エリクソンが言うには、3年契約の年間500万ユーロ(10億円ほど?)でW杯後、アストンビラの監督になってもいい。いまFA協会からもらっているのは300万ポンド(6億円)、税別だと明かしてしまった。ただ、エリクソンと協会の契約は2008年まである。
ほかにも、タイトル獲得の際、選手に払うべき賞金の額これぐらい、監督の分は「それ以上あるべき」と言及した。
監督になった暁には、「ベッカムを呼ぶのが最善だ。彼が来れば、たったの1週間で、これまでの10年間で売った数よりも多くユニフォームを捌けるだろう」
ベッカムに関する発言が圧倒的に多い。「ベッカムを獲得するなら、今がチャンスだ。前から彼はレアルで不満だと私に言っている。スペインでは3シーズン目だが、何のタイトルも獲得できないし、チーム事情も一向に改善されないと嘆いていた。私なら、彼に電話できるよ」
イングランドでは、クラブ側を通さず選手と直接移籍話をするのは違反とされている。
「あなた達はベッカムがもたらす経済効果を知るべきだ。この前レアルの首脳陣と話したときも、想像を遙かに超える効果だと言っていた」
「イングランド代表が遠征に行くとき、ベッカムが居れば何千人ものファンがホテルにむらがる、居なければ平和なもんさ。70歳のおばあちゃんから、17歳の小娘までみんなベッカム・ファンだ。彼は現役を引退してもセレブであり続ける」
記事では、どうすればベッカムをレアルから引っこ抜けるかを延々と話している。
マイケル・オーウェンについては、「ニューカッスルで満足か、と聞いたら、“イイヤ、でもレアルよりも年俸がいい”と言っていた。彼は金のためだけに移籍した。彼はベッカムにことごとくCM契約を持って行かれて不満でいる」
チェルシーが右SBライト・フィリップス(あっしは良い選手だと思う)を獲得したことについて「あのレベルの選手に3千万ユーロは多すぎる」
リオ・ファーディナンドについても「たまに気の抜けたプレーをする(Lazy)」
ジェラールについては、なぜ一部の地元ファンから嫌われているのかという部分が理解できなかった。
ライアン・ギグスに関しては「ウェールズ代表では何の大会にも参加できないから、イングランド代表入りしたかった、と私に吐露したよ」と言っちゃった。ウェールズの人々は何て反応するだろう。
これぞ本音トーク。すべて言っちゃった、ぶっちゃけちゃった。取り返しがつかない。
記事が明るみになった後の週明け、FA協会はエリクソン監督の更迭はないと公表した。監督自身も、記事で触れた選手たちに直接電話をして説明(謝罪)したと言っていたが、信頼関係はガタ落ちだろう。「そんな目で俺は見られてたんだ」と選手たちは思うはずだ。会社の上司が、あなたについてこんな話しをしたら、どう思う?
あまりにもの醜聞に世界中のメディアも扱いをためらっているのだろう。まあ、ここはあっし個人のブログだから、何のしがらみもない。
前からイギリスのサッカー・メディアの一部の低俗さには興味があった。たとえば、マンUのカルロス・ケイロスのインタビューを読んだことがあったが、「今日は何色のパンツをはいて家を出ましたか?」なんて聞いていた。ありえない、想像させんなチキショー。
しかし、このトークのおかげで色んな疑念が晴れたのも事実だ。いかにして、アイドル選手を中心に捉えてチームを作るべきか、代表監督は選りすぐりの選手たちと裏交渉ができること。エリクソンが記事で「くれぐれも隠密に(low-key)」と言っているところがシュール。
以前、フェリポンの代表監督としての影響力について02年W杯後のセレソン選手たちの移籍状況と関連づけたが、現実的なアプローチだったと改めて認識できた。
今回たまたま、ひっかかったのがイングランド代表監督だったが、他の代表監督であっても何の驚きはない。プロの世界を理解するのに、またひとつ勉強になった。
投稿者 fhasebe : 09:38 | コメント (2) | トラックバック
2006年01月15日
お兄ちゃんの夢
先週、地上波であるサッカー番組を見ていたら、サッカー通で知られる芸能人が言った言葉がすごく引っかかった。と、即座に過去の記憶が蘇った。
詳細はぼんやりとしているが、80年代も終わる頃、我がインテルナショナルの試合を観ていたときだった。相手は宿敵グレミオ、これがGre-Nal(グレ・ナウ)と呼ばれるブラジル最南部のクラシコだ。
テレビにかじりつくようにインテルを応援していたのだが、試合が進むに連れ一人のグレミオの選手が気になりだした。
その選手はまさに中盤で試合を支配していた。トラップが上手く、絶対ミスってボールを取られない。いつも前を向いて仲間の動きを判断し、パスを出すかタメて、チームの攻撃の緩急を司っていた。なんといっても、決定的なプレーを演出しながら、守備をおざなりにしないポジショニングに理想的なミッドフィルダーの姿が見てとれた。
「こんな上手い選手がグレミオに出現したんだ、インテルもやべえなこりゃ」と内心思った。それから友達とサッカーの話をしても、「近いうちにセレソンの10番を背負うヤツがいる」とライバル・クラブの選手なのに、自慢げに?豪語したもんだ。
すると、みんな口を揃えて「誰なんだ、そいつは?」と聞く。あっしは「アシスだよ、グレミオの」と答える。即座に「そんな訳ねえじゃん」と否定されたが、あっしにはそんなことはどうでも良かった。
グレミオ時代のアシス(Assis)

当時のセレソンの10番は覚えてないが、中盤は元グレミオのヴァウド(またはバウド、Valdo、90年代にグランパスにもいた)に、バスコのジオバンニがいて、前線にはロマーリオがすでに君臨していた。
そもそもグレミオの中盤を注目するようになったのは、80年代前半にこのヴァウドが出現してからだった。下がり気味の指揮者ヴァウドがボールをもらって反転するときの華麗さ、美しさは衝撃だった。現在セレソンのゼ・ロベルトのプレーはヴァウドに似ている。そんなヴァウドよりもアシスの方がさらに破壊力があった。
アシスについて、詳しく調べてみると、71年生れ。父はグレミオのホームグランド、エスタヂオ・オリンピコの守衛をやっていたという。子供のころから、サーカスの曲芸のようなボール扱いで、すぐにグレミオの育成部に入団。16歳でプロ契約。クラブでは何十年に一人の逸材として即トップチームのレギュラーに昇格。
プロ契約と同時期、イタリアのトリノから勧誘を受ける(グレミオ側はトリノがアシスを騙してイタリアに連れて行こうとした、と今でも言うが)。グレミオはやむをえずアシスの年俸を押し上げ、家族に豪邸を与えて何とか留まらせた。
89年コパ・ド・ブラジルを優勝。しかし、そのあとヒザの故障で、1シーズンを棒に振る。さらに不運が重なり、クラブに与えられた豪邸のプールに父が転倒し死亡。ヒザの怪我の影響で、幾多のトラブルを抱えながらも91年12月には念願のセレソン入りを果たす。だが、92年には国内の檜舞台を離れスイスのチームへ移籍。
後のアシスのコメントでは「まだ21歳でトップリーグでないスイスへ行ったことが、自分のキャリアの最大のミスだった。私にはセレソンを背負うポテンシャルがあったが、あれで、すべてから遠ざかった。しかし、父亡き後の家族の経済事情を考えて、やむおえず下した決断だった」
若くしてヒザに爆弾を抱えてしまい、「稼げるうちに、稼がないと」といった判断を迫られたのだろうと思っている。
それでもスイスではアイドル的存在としてサポーターに愛され、95年にはポルトガルのスポルティングでも脚光を浴びた。だが全盛期のアシスにセレソンからのお呼びかかることはもうなかった。98年にはなんと、Jリーグのコンサドーレに移籍。その後、メキシコ、コリンチャンス、フランスを転々とし、02年にまだ31歳で“スパイクを脱いだ”。
スポーツの世界で成功した選手たちと、できなかった選手たちの差は紙一重と言われる。類い希なる才能を持ち、セレソンで活躍が有望視された選手も昔からゴマンといる。アシスの夢は実現しなかったが、あっしは彼の成功を信じていた一人だった。
そんなアシスもいまは彼と同じようにサッカー選手になった弟のマネージメントをしていることで有名だ。死んだ父に代って弟の面倒も見なくてはならなかった現役のころのアシスだったが、死ぬ前の父の言葉「アシスよりも弟の方が上手い」のとおり、アシスは弟に大きな才能を見出し、自分が経験した数多くの失敗を繰り返さないよう、周到な計画で弟のキャリアをマネジメントしてきた。
おそらくブラジル・サッカー史でも、これほど計画的にマネジメントされた選手は他にいないのではないだろうか。弟の成功の影に兄あり。アシスの血と汗と涙の延長に、ついに成功があったことをあっしは嬉しく思う。それに、その弟選手が言うには「私よりもっと上手いのが甥っ子、アシスの息子」だそうだから、どうやらアシスの仕事はいつまでも終わりそうにない。
それで冒頭に戻って、その芸能人が言った言葉が「お兄ちゃんが日本でプレーしたからなんやねん、弟が来なくちゃあ…」、だった。テレビでサッカー通を演じるのも大変なんだなあ。
まあでも、おかげで過去のことをちゃんと整理することができた。今回はお兄ちゃんがメインだから、弟の名前は言う必要はない。
アシスの夢は現実となった!ちなみに、これが「アシスの弟」だ

「ボクの夢は、お兄ちゃん!」

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2006年01月12日
ショート・ニュース
シーズン・オフのブラジルでおもしろいニュースをピックアップしてみました。
まずは、
・ローターマテウス、アトレチコ・パラナエンセと1年契約-ブラジルで初のドイツ人監督誕生、2月1日から就任。やったー!
マテウスのコーチ・スタッフにまずはドイツ系ブラジル人パウロ・リンク(アトレチコでプロデビュー、ドイツ代表でプレー歴あり)の就任も有力視されている。パウロ・リンクはユーロ2000で晩年のマテウスとチームメイトだった。
マテウスがもたらすゲルマン魂がブラジル選手権で炸裂するか、いまから楽しみだ。まずは、2月からパラナ州選手権で腕慣らし。
・フルミネンセの33歳の指揮者ペトコビッチ、セルビア・モンテネグロ代表でW杯出場の可能性あり。3月の親善試合でセルビア代表に呼ばれるそうで、今季前半のコンディションいかんで、「ブラジル国内最高の10番がW杯に登場する」可能性あり。
実力でいえば、文句なしに代表レベルのペトコビッチは旧ユーゴスラビア時代にもW杯に行く可能性があったが、当時の監督と大げんかしてチャンスを棒にふっている。本人は「おれはブラジル人にセレソン入りしてもおかしくない、と言われてるんだぜ。セルビア代表入りして当然だろ」と相変わらずの言いたい放題な性格だ。
この人がボールを足下に置いてチームメートを走らす姿は、まさに古き良きブラジル・サッカーのアルマドールだ。決定力も凄い。ミロセビッチ、スタンコビッチ、ケジュマンそしてペトコビッチなるか?アルゼンチン相手に活躍してくれー!
・アモローゾ、結局ミランへ。おかしいと思った、サンパウロFCに残留、FC東京と仮契約済み、コリンチャンスとも接触など、いろいろ書かれたが、全然サインしないんだもん。結局ミラノからの“天からの一声”でさっさと行っちゃった。年俸はサンパウロFCの2倍の400万ドルだそうだ。
・日系人アルマドール、ホドリゴ田畑さん、ヒカルジーニョの後釜としてサントスへ移籍。これで、ルーシャ率いるトップチームでその実力を発揮するチャンスに恵まれる。見た目はまったく日本人でわりとイケメン(ハーフ?)。
Jりーグに来ても面白いが、いま最もセレソンに近い25歳の日系人。ロナウジーニョの座を奪い獲って、ロベルト本郷になってくれ!

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2006年01月11日
輸出工場の1年
2005年の国内事情の統括はまだ終わらない。
1月早々、ブラジル・サッカー連盟CBFが2005年の海外移籍統計を発表した。
昨年は総数、878人の選手が海外に移籍した。2004年の857人を上回る過去最高の数字だそうだ。
878人といえば、一日に2.4人が海外へ出て行く。
チーム数でいえば、23人制で計算して、38チーム分が丸々出て行った。
そのかわり、487人が海外から戻ってきたから、つまり差し引いて、実質391人居なくなったことになる。
移籍先はポルトガル(129人)、日本(37人)、イタリア(26人)を筆頭に、カザフキスタン、モルダビア、ハイチ、ジョージア、サイプロス、ベトナムといったプロサッカーがあるのかどうか、分らない国にまで移籍している。北朝鮮に移籍しているのかどうかが、まだ分らない。
このことから分るように、海外に移籍するのは何もトップクラスの選手だけではない。ブラジル国内で日の目を浴びない選手が、地球儀のどこにあるかも分らない国にチャンスを求めて旅立っていく。なかには、詐欺にだまされて、約束の収入ももらえず、帰国もままならないケースもあると聞く。
しかし、このダイナミズムは凄まじい。日本のJリーグファンには納得できないことも多いと思うが、海外チームと契約しては3ヶ月で破棄し、ブラジルへ帰国、さらにその後3ヶ月ほどで、また海外へ移籍する。代理人も大忙しだ。
いま南米の他国では、ブラジルサッカー市場を目指して移籍がさかんに行われているという。パラグァイ、ボリビア、チリ、ウルグァイ、コロンビアなどの選手が、品薄になりがちなブラジルサッカーのトップチームに移籍し、そこから海外移籍を狙うという。
昨年のブラジル選手権ベストイレブンを見ても分かるように、コリンチャスンのテヴェス、サンパウロFCのルガーノなどはブラジルでプレーして更に市場価値が上がったいい例だ。この傾向はこれからも更に強まっていくという。
有望なブラジル人選手だって、うじゃうじゃ出てくるが、国内で実績を残す前にたったと売られていく。ペレ・スポーツ法が制定されてから、ブラジル人選手は23歳になると、出身クラブと契約満期となり、移籍金なしで好きなクラブと契約してもよい。だから、海外から好条件でオファーのあった20代前半の原石の卵は、クラブ側が(安っぽい)移籍金を請求できるうちに移籍させるのである。この話題は、一冊の本になるほど複雑だ。
はじめのころ、ピーピー言っていたクラブ側だが、いまではトップチームの運営とは別に、ユース世代を含めたトレーニング・センター(CTという)の設立・拡張を相次いで行っている。とくにサンパウロ州のビッグクラブのサンパウロFC、コリンチャンス、サントスはここ2年で巨大な練習場を新築したことを誇らしげにアピールしている。パルメイラスだけが、遅れながらCTの拡張を急いでいる。
サンパウロ州だけでない、全国のクラブもトップチームとユース世代が一緒に練習できるCTの建設・拡張を急いでる。いかに優秀な若手選手を育て、次から次へと海外へ移籍させ、クラブ財源を保つかが、運営面で重要になってくる。
この新しい潮流に乗り遅れているのが、またしてもリオのクラブだ。リオのサッカースタイルは相変わらず美しいが、偶然かもしれないが、近年は大物新人があまり出てこない。
どのクラブもトップチームの運営はどうなるんだ?選手層がスカスカだろう-と心配になるところだが、たとえばサンパウロFCなどは、ちゃっかりクラブ世界選手権を優勝してしまうのだから、いかに人材がまだ豊富かを証明している。即戦力が必要であれば、選手を海外から戻すか、南米諸国の選手を引っこ抜く。
どうせ、ひとつのユース世代の全員をトップチームで起用はできない、海外や国内移籍ありきで有望選手を育てる、選手に移籍の機会がなければ、そこで契約を延長してトップチームで使えばいい、といった発想か?「この選手は将来我がクラブを背負っていく才能だ」といった欧州や日本の発想はもともと無いはずだろう。
「こんなサッカー事情の国で仕事するのは大変だぜよ、たとえマテウスといえどもウンザリするのではないか?」とマテウスのアトレチコ・パラナエンセ監督就任後の成功を疑問視していたのは、パルメイラスを建て直している最中のレオン監督だった。
レオン監督は昨季ヴィッセル神戸解任後(あれは、何だったの?)、パルメイラスに就任し、どのようなトレーニング場(CT)を建設すれば良いのか、トレーニング場にはどのような運動マシーンを入れれば良いのか、といった細部まで、運営上の指揮をとっているらしい。チームの戦術だけを指揮するのがブラジルのトップ監督の仕事ではない。パルメイラスは全国選手権を4位で終了し、今季のリベルタドーレス杯に出場する。
これが、昨年完成したサントスの新しいCT

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2006年01月10日
ブラジレイロン2005、ベストイレブン
まだまだ昨年の話題だが、2005年のブラジル国内事情の総括として興味深い。
CBFブラジルサッカー連盟がプロモートした「クラッキ・ブラジレイロン2005」-2005年ブラジル選手権のベスト・イレブンの選出結果を遅ればせながら記録しておきたい。
そしてブラジルで最も読者数が多いサッカー専門誌プラカール(Placar)が選出した「ボーラ・ジ・プラッタ」(銀色のボール)によるベスト・イレブンも選出された。
CBFのベスト・イレブンの選出は、FIFA方式に則って、現役またはOBの監督および選手によって行われた。最終選考には各ポジションに3人のプレーヤーが残り、12月5日、総勢33人の選手と監督、審判などが集まってリオで盛大なパーティーイベントが行われベスト・イレブンが賞を受けた。
一方、プラカールの選出方式は、毎節雑誌が行った点数評価(10点満点)を集計し、各ポジションで最も平均点の高い選手が選ばれた。こちらのイベントはサンパウロで行われた。
CBF「クラッキ・ブラジレイロン2005」は優勝チーム、コリンチャンスから5人、2位インテルナショナルから2人、5位フルミネンセから2人。また、ベスト・イレブンのうち4人が外国人選手であり、そのうちアルゼンチンのテヴェスが大会MVP「クラッキ・ジ・オウロ(金のクラッキ)」に選ばれた。
ブラジル・サッカー連盟のテイシェイラ会長とカルリート

ベスト・イレブン(各ポジションの1位、フォーメーション:4-2-2-2))
GK:
1位-Fábio Costa (Corinthians)、サントスに移籍
2位-Rogério Ceni (São Paulo)、日本でもご存じ
3位-Harlei (Goiás)
右SB:
1位-Gabriel (Fluminense)、マラガに移籍
2位-Cicinho (São Paulo)、レアルに移籍
3位-Paulo Baier (Goiás)、パルメイラス移籍
CB右:
1位-Lugano (São Paulo)、ウルグァイ代表、日本でもご存じ
2位-Betão (Corinthians)
3位-André Dias (Goiás)
CB左:
1位-Gamarra (Palmeiras)、パラグァイ代表
2位-André Leone (Goiás)
3位-Marinho (Corinthians)
左SB:
1位-Gustavo Nery (Corinthians)、セレソン
2位-Michel Bastos (Figueirense)
3位-Jorge Wagner (Internacional)
ボランチ1:
1位-Marcelo Mattos (Corinthians)、なんとFC東京でプロデビュー
2位-Mineiro (São Paulo)、日本でもおなじみ
3位-Marcão (Fluminense)
ボランチ2(より攻撃的):
1位-Tinga (Internacional)、来たあ我がインテルの名ボランチ!元フロンターレ
2位-Rosinei (Corinthians)、新星アルマドールの誕生なるか?
3位-Arouca (Fluminense)、ワールドユースにも参加
MF右:
1位-Petkovic (Fluminense)、ブラジルの10番はセルビア人
2位-Juninho Paulista (Palmeiras)、元セレソン
3位-Carlos Alberto (Corinthians)、一番手ヒール役
MF左:
1位-Roger (Corinthians)、コリンチャンスのコンダクター
2位-Ricardinho (Santos)、セレソン
3位-Rodrigo Tabata (Goiás)、日系ブラジル人の田畑さん
セカンドFW(ポンタ・ジ・ランサ)
1位-Carlos Tevez (Corinthians)、アルゼンチン代表、W杯で世界にその雄姿を見せるか?
2位-Fernandão (Internacional)
3位-Edmundo (Figueirense)、アニマウ健在!古巣パルメイラスに移籍
フォワード:
1位-Rafael Sobis (Internacional)、インテルの期待の星
2位-Robson (Paysandu)、“ホビゴール”ザ・ストライカー
3位-Alex Dias (Vasco)、ロマーリオの相棒。彼のおかげで、ロマーリオはごっつあん状態
監督:
1位-Muricy Ramalho (Internacional)、インテルを去り、サンパウロFCへ移籍
2位-Abel Braga (Fluminense)、我がインテルナショナルへ移籍
3位-Geninho (Goiás)、Jリーグとは縁がない人
では、次にプラカール誌のベスト・イレブン:
GK:ファビオ・コスタ、右SB:シシーニョ、CB:ルガーノ、CB:ガマラ、左SB:ジャヂウソン(ゴアイス、元コンサドーレ)、マルセロ・マトス、ミネイロ、ペトコビッチ、ジュニーニョ・パウリスタ、ハファエル・ソビス、テヴェス。
大会MVPはテヴェス、得点王はローマリオ、22ゴール。テヴェスはブラジル・サッカーのすべての主タイトルを受賞した。その貢献度からして、貰ってしかるべき称賛だ。
こちらは、「プラカール(Placar)」誌のベスト・イレブン。真ん中でトロフィー持ってるのがカルリート。

左SBのジャヂウソン以外は、CBFが選出したメンツとプラカールのベスト・イレブンとは一致している。とくに、4人の外国人選手(ルガーノ、ガマラ、ペトコビッチ、テヴェス)は圧倒的な支持を得、MVP争いもテヴェスとペトコビッチに絞られた。ブラジルのスタジアムで最もファンを喜ばしたのは、ブラジル人選手ではなかった。これが現実。スペタクルなブラジル人選手はどれも、海外へ移籍してしまって国内には居ない。
ベテランでは、ジュニーニョ・パウリスタがパルメイラスで良いシーズンを送った。世界クラブ選手権でMVPだったサンパウロFCのGKホジェリオ・セニだが、国内ではコリンチャンスのファビオ・コスタに1位の座を譲っている。記憶に残るセーブの数だけでいえば、確かにファビオ・コスタの方が目立った。
個人的には、たった一年で、2部降格から1部へ昇格したグレミオから出てきたアンデルソンという17歳の選手(世界U17選手権MVP)が印象に残った。今年からポルトの選手になるアンデルソンはクラブの先輩のロナウジーニョの後継者と呼ばれそうだが、体がすごく強くて、ロナウジーニョとは違うタイプのMFだ。
何はともあれ、2005年はコンフェデ杯優勝、南米予選1位通過、リベルタドーレス杯・世界クラブ選手権優勝、世界最優秀選手受賞とブラジル・サッカー史上で最も国際タイトルの多かった年だった。
06年早々はオフの期間だが、それでも国内のクラブ事情は刻々と変化していて、新しい話題には事欠かない。まずは、今年前半の各州選手権、そしてリベルタドーレス杯枠のかかったホーム&アウェー方式のコパ・ド・ブラジルの2大会に注目が集まる。
投稿者 fhasebe : 00:44 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月07日
マテウスがアトレチコ・パラナエンセに?
ブラジル選手権にドイツ人監督の誕生か?
あのローター・マテウスがアトレチコ・パラナエンセと契約寸前だそうだ。
実現すれば、すばらしい。ドイツ・サッカーとブラジル・サッカーの融合はどんな結果を生む?
80年、90年代ドイツ代表を率いた闘将マテウスは今週、ブラジルに渡り、南部の都クリチーバにあるアトレチコのクラブハウスを訪れた。
マテウスの就任について、アトレチコの会長はまだ交渉段階にあるという。だが、マテウス本人が乗り気マンマンで記者会見に応じた。

契約は1年の見込み。日本のマスコミでも、報じられている(マテウスがダメな場合、今季まで鹿島アントラーズを指揮したトニーニョ・セレーゾの名前も挙がっている)
「世界で最も優秀な選手を輩出するブラジルで仕事することは、私にとっては大きなチャレンジだ」
「ブラジル・サッカーにヨーロッパ流の戦術力をもたらしたい」
「2010年のドイツ代表を率いることが私の最大の夢だが、いまはアトレチコ・パラナエンセだけに集中したい」
「この話を最後に決定するのは、妻だ。彼女がブラジルに来たいといえば、契約成立だ」
あっしはドイツ・サッカーの歴史に詳しくはないが、マテウスの印象は「最後まで勝負を諦めない、闘うサッカー」という感じだ。82年、86年、90年と三度W杯の決勝に進出したドイツサッカーの黄金期を支えた人材の一人。浦和レッズのブッフバルト監督と同年代。
でも最もドイツ人らしいな、と思ったのは、さんざんクラブの会長と交渉を重ねたあとで、「でも、カミさんに聞かないと」で国にトンボ帰り。日本のような男社会では考えられない決定のやり方。マテウスの奥さんは、ちょっとケバ目だけど、モデルのように艶やかなブロンド女性。
アトレチコ・パラナエンセは推定サポーター数100万人、ブラジル南部パラナ州の州都クリチーバで、コリチーバ、パラナ・クラブらと人気を3分する。ホーム・スタジアムは前にも紹介しましたが「アレーナ・ダ・バイシャーダ」と言い、最近では金もらって「キョンセラ・アリーナ?」とかいった、どこか東洋からしゃしゃり出てきた企業名らしい、妙な名前を付けられた。余談ですが、あっしはこの会社が作ったデジカメ使ってます。

99年に完成したこのスタジアムは行ったことないのですが、見るからに素晴らしい。まるで、ヨーロッパのどこかの近代的なスタジアムのようです。唯一の問題は見てもわかるように、観客席のリングがまだ完成していません。現在、2万5千人の収容キャパは、リングが完成すれば、5万人になるという。
そのことはまた、アトレチコ・パラナエンセという10年前まではブラジル・サッカーで中堅クラスでしかなかったクラブが長期的なプランニングのおかげで国内有数のトップチームへと変貌を遂げたことをも意味する。つまり「だるまの目入」ということになる。ずさんな経営が目立つ多くの伝統クラブを尻目に、アトレチコの首脳陣の仕事はまさに、その成果だけを見てもモデルケースといえる。
アトレチコ・パラナエンセ、愛称“フラカォン(台風)”は2001年全国制覇をし、2004年は全国2位、2005年リベルタドーレス杯も2位。今季JリーグでプレーしたFWワシントン(ヴェルディ)やFWルーカス(FC東京)などがチームに在籍した。

このチームとサポーターを育んだクリチーバという街がそもそも美しく、整然とした都市である。写真のように、ゆったりとした古い中心街に近代的な交通網、緑の圧倒的に多い市街地。現在は工業発展が著しいという。街は犯罪も少なく、ブラジルの大都会のイメージを覆すほど住みやすい街である。
あっしも、何度もクリチーバには遊びに行った、女の子は美人でスタイルが良く、肉・パスタ料理が上手すぎる。まあ、サンパウロに比べて人々はちょっと大人しい気もしたが、ドイツ系移民も多いこの地域は、マテウスとご婦人にはもってこいの場所ではないだろうか。

マテウスがブラジル・サッカーと交流すること、それが、この先どんな影響をもたらすのだろうか。ドイツという国はすべて、組織的に物事を進めるところだ。バラックがバイエルン・ミュンヘンから移籍しないのは、06年W杯までに“国営クラブ”バイエルン・ミュンヘンを強く保っておくためだと思っている。
マテウスがブラジルの内情を知ることで、最初に考えたのは、2010年のドイツ代表候補にドイツ人に帰化したブラジル人選手がさらに増えているのではないか、ということ(現在はクラニーがいるが、彼は純正ブラジルでもない)。別に、それはいい話だと思うし、マテウスのお言葉を返すようだが、ドイツだってブラジル・サッカーから多くを学べると思う。だって、いまのブンデスリーガのつまらないこと、つまらないこと。
アトレチコ・パラナエンセの会長の言葉では、「もし、マテウスのような国際サッカーのパーソナリティを呼ぶことができれば、ここ10年の長期計画に弾みがつく」。アトレチコは世界的に名が知れ、未完成のスタジアムは2014年W杯へ立候補するブラジルの有望スタジアムとして工事を進められる。確かに。
来週中には、結論が出るというが、こうした「夢」のある話はいいもんだ。
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2006年01月04日
ケルロンの出現
2005年は、一人のタレント、ひとつのスペタクルなプレーの出現でもあった。
クルゼイロに属する17歳のケルロンが“発明”した「アシカのドリブル」。サッカー史に残る新しいプレーの誕生だ。
プレー自体はいたって簡単、ボールを頭にのっけて、ポンポンとリフティングをしながらドリブルして突進していく。これを、ケルロンがやると相手ディンフェダーはまったく対応できない。面白いように2,3人をスイスイと抜いていく。
このプレーは数年前、自宅で練習しているときに、たまたま頭でリフティングしているところを父親に「そのままで、相手を抜いていけば?」とアドバイスされて、改良に取り組んだという。
父子の予定では、プロになるまでは、この技を秘密にしておくつもりだったらしい(なんか、楽しそうじゃない)。だが、ケルロンは我慢できず、ユース時代に所属していたイパチンガというクラブで試合中にやってみた。すると面白いようにドリブルが決まった。センターサークルから“アシカのドリブル”だけで相手陣に侵入し、ゴールを決めたこともあったという。
次は05年4月に行われたU17南米選手権でも技を披露。エクアドル戦、パラグァイ戦そして決勝のウルグァイ戦で使用し、相手ディフェンダー陣を混乱に陥れた。
このときの映像は世界中で放映され、ケルロンは瞬く間に噂の人となった。不思議なことに、日本のマスコミで彼のドリブルの話題は上がらなかった。
では、“アシカのドリブル”をストリーミングしてくだされ。直リンで申し訳ありません。また、リンク先のページはダウンロードが遅いようですので、気長(場合には10分ほど)にお待ち下され。
画質粗い(待ち時間短いほう):
http://alltherest.blogs.francefootball.com/archive/2005/12/14/kerlon.html
画質良い(だが、待ち時間長い):
http://www.aftonbladet.se/atv/player.html?catID=26&clipID=557
これでも駄目なら、このリンクからファイルを保存して見て下さい。とにかく、ぜひ御参照くだされ!
http://geocities.yahoo.com.br/kerlon_dribles/
U17南米選手権の決勝ウルグイ戦が始まるとき、ケルロンは主審に「あの妙チクリンなヘッド・ドリブルをやれば、ファウルを取らないどころか、君にイェローカードを出す」と脅されたそうだ。
だが、そんなこと意に介さないケルロンは(クラッキたるもの、こうであるべき)、試合中に平気で“アシカ・ドリブル”をやり、映像からも分るように(ウルグァイ・チームは青空色のシャツ)がっつりファウルを受けたのだが、バカ審判はたしかに流した様子。
「このドリブルは、最初は理解されないんだ。レオニダスのバイシクル・シュートのように、斬新なプレーは最初は人々に受け入れられないんだよ」
17歳のくせに達観しているじゃないか、ケルロン君。結局、彼はこの大会MVPに選ばれる。
このドリブルを人に見せた経験では、サッカーを知る人は「ハア?なんだコレ?」とまず反応する人が多い。サッカーを知らない人の方がむしろ「ウワーッ、スゴーイ!!」と素直に反応する。ケルロンの言うとおりだ。あっしはこの映像をはじめて見たとき、ポカーンと顎を垂れた。
その後、ケルロンはクルゼイロのトップチームに昇格する。ブラジル選手権でもバンバン“アシカ”を披露して周囲を唸らせる。サッカーのことなら何でも知っていると自負するブラジルの批評家たちも「こんなドリブルは始めてみた。スゴイ!」と驚き、ケルロンの技はどんどん認知されていった。
しかし、05年後半、踵を痛めU17世界選手権を欠場。ブラジル選手権の後半も棒に振った。年が明けてやっと怪我から復帰し、いまはトレーニングを再開しているという。
彼の才能はもちろん、“アシカ・ドリブル”に留まらない。超攻撃的なアタッキング・ミッドフィルダーで、狭いスペースにいながらも、ワンタッチでありとあらゆるトリッキーなプレーをする。それにFKの名手でもある。今後、どう育っていくのかが期待される待望の逸材だ。
今年はクルゼイロで更なる飛躍を目指す18歳のケルロンは、いつのまにか世界中のフットボール・マニアから注目される存在となった。
彼のプレーは絶対に観客を沸かせる。残念ながら日本ではブラジル選手権の放映のメドはたっていないよう。
“サッカーには新しいものなど、もう無い”って、誰が言ったっけ?

投稿者 fhasebe : 00:29 | コメント (4) | トラックバック
2006年01月02日
コリンチャンス2005
2006年に突入する前に、昨年のブラジル選手権覇者について記録しないわけにはいかない。
ピッチ外で起きた審判不正問題で興醒めしてしまった2005年ブラジル選手権だったが、今年のコリンチャンスは、これからのブラジルサッカーを牽引していく若くて素晴らしいチームであることに違いはない。

クラブはまず2004年後半から開始した、イラン人キア・ジョオラビキアン率いる投資ファンドMSIとの“怪しい”提携で、何かと話題になった。
だが、コリンチャンスはたった1年であっという間にトップ・チームとなった。いや、なるべくしてなった。最初は疑問視されたMSIからの投資も、下部組織から台頭してきた素晴らしい才能たちが力を発揮してくれたおかげで、05年の最後の3ヶ月でチームは見事に完成した。
つまり、大金を抱えたスポンサーと、空前の才能ある若手集団の出現による二つの好条件が、コリンチャンスの躍進を可能にした。もともとコリンチャンスはあまり若手を輩出しないクラブとして知られていた。ちなみに今年のコリンチャンスの平均年齢は21.5歳だそうだ。
MSIファンドはおよそ6千万ドル(70億円)を費やして、FWカルロス・テベス(20億円)、MFカルロス・アウベルト(元ポルト)、MFホージェル(元ベンフィカ)、FWニウマール(元リヨン)、左SBグスターボ・ネリ(元ブレーメン、セレソン)、MFマスケラーノ(元リーベル)、CBセバスチアン(元ニューエルズ)、MFマルセロ・マトス、MF/CBウェスクレイ、CBマリーニョ等を獲得した。
彼等に加え、コリンチャンス下部組織(ユース用トレーニング場「イタケーラCT組」と呼ばれる)からFWジョー、FWボボ、MFホジネイ、MFブルーノ・オタビオ、右SBコエーリョ、CBベトンなどが飛び入りで活躍した。
シーズンを通して波のあったコリンチャンスだが、ここ一番の爆発力は凄まじかった。とくに、カルロス・アウベルトの調子が復活した後半からは、相手エリアに5,6人で殴りかかるような攻撃力が見る側を興奮させた。
コリンチャンスはサンパウロ州では、もっとも大衆のクラブであり、昔から華麗なプレースタイルよりも、ガッツあるプレーが好まれた。そこに完全にフィットしたのがアルゼンチン最大の大衆クラブ、ボカ・ジュニアーズ(フーニオルズ)から来たテベスだった。
ブラジルでは「犯罪者にもっとも支持されるチーム」などと揶揄されるが、みてください、このサポーターの熱気。推定3千万人といわれるサポーター数。まるで、ひとつの国家、半端じゃありません。

今年度ブラジル選手権最優秀選手に選ばれたテベス。彼こそが、チームに必要だった「ガッツ」の象徴となった。ボールを持てば、何が何でも前に行く。ガツガツと当たり、どんなに削られようとも、相手DFを吹っ飛ばしてでも突破していく「泥臭い」プレースタイルがサポーターたちの共感を得た。
テベスは今季31ゴールを上げたが、ゴールするたびに滑稽なタンゴを踊る。これもバカバカしくて面白かった。まだ21歳のテベスは、もうれっきとしたブラジル・サッカーのアイドルだ。

テベスの相棒として、東京ヴェルディに移籍する前のジウやジョー、ボボが頑張ったが、9月からリヨンから移籍してきたニウマールがジャスト・フィットした。もはやセレソンに呼ばれなくなった21歳のニウマールだが、彼がボールを持ったときの足の速さは驚異だ。

ニウマールが開いてボールを受けては突進、テベスが真ん中でガンガン攻め立てる。単純だが、凄まじい破壊力のツートップが誕生した。
テベス・ニウマールの後方からは、これまた21歳でラッパーのような風貌のカルロス・アウベルトがボールを運んでやってくる。この男はヒールで生意気だ。ジャウミーニャやエジムンドの系譜を受け継いでいる。技術的にはもの凄いが、まさに忍耐力に欠ける。

04年のトヨタ・カップではFCポルトでジエゴと一緒に来日した。ブラジル・サッカーのヒール役部門の将来を担う二人を同時に抱えたポルトは案の定、あのあと空中分解したっけな。
同じく、パサー役の華麗なるホージェル(27歳)が…といいたいところだが、今年の後半はホジネイという22歳の新星が出現した。こいつの中盤での動きは凄まじかった。攻撃は◎、守備も◎。ひょっとして、ブラジルの将来を担う新型アルマドールの出現かもしれない。
「ホジネイ (Rosinei)」この名前を覚えておくといいかもしれない。

コリンチャンスは4-4-2から、試合の流れでいとも簡単に3-5-2に変える。この変化が今のブラジルサッカーの主流だとも言える。それを可能にするのが、CBもできるボランチの二人、マルセロ・マトス(21歳)とウェスクレイ(21歳)の二人(エジミウソンはうかうかしてられない)。他にもブルーノ・オタビオ(20歳)は怪我で殆ど参加できなかったマスケラーノ(21歳)の穴を良く埋めた。
こうして見ると、コリンチャンスはまるでU21のチームのようだ。02年のサントスよりも若いはず。最年長はCBのマリーニョ(29歳)、次いでグスターボ・ネリ(28歳)。ネリは恐らく今年のW杯にロベカルのサブとして参加してるだろう。GKファビオ・コスタ(28歳)は再三MSIのキアといがみ合った結果、サントスに逆戻り。正GKの座をぽっかり空けてしまった。
最終節で優勝を決めたコリンシャンス

06年に向けてのコリンチャンスはもう始動している。まずFWジョーがCSKAモスクワに移籍。リバウド2世と期待される長身の彼のプレーが見れなくなるのが残念だ。彼の代わりに、今月中にコリンチャンスは大型FWを獲得するだろう。噂にあがっているのが、ロマーリオ、ルイス・ファビアーノなどだ。
他の若きメンバーの多くも海外からオファーを受けており、テベスはW杯後に移籍のオファーを数多く(もちろんアルヘン・インテルからも)受けているようだ。だが、ここはMSIの経済力からして、チームはそう簡単に切り売りされそうもない。むしろ、強化されるはずだ。
日本でも、今季は少なくともリベルタドーレス杯の放映でコリンチャンスは観れる。優勝を経験し、さらに進化するだろうコリンチャンスを観ること、とくにコリンチャンスのホームゲームは素晴らしい展開になるだろう。ヨーロッパの守備的なサッカーに辟易している人には、新鮮な体験になることうけあい。次代のセレソンを担う逸材もウジャウジャいるよー。
とにかく、どこでもいいから、今年のブラジル選手権の放映権を獲得してくれなかなー…
2005年、4度目の全国制覇を成し遂げたコリンチャンス

上段、左から(トレーナー・シャツのスタッフ陣は除く):GK/Fábio Costa, FW/Bobô, MF/Wescley, SB/Coelho, GK/Marcelo, FW/Carlitos Tevez, CB/Marinho, MF/Wendel, MF/Bruno Octávio.
下段、左から:SB/Edson, MF/Hugo, MF/Roger,MF/Fabrício, MF/Rosinei, MF/Carlos Alberto, FW/Nilmar, MF/M.Mattos, FW/Jô e SB/Gustavo Nery.
監督はアントニオ・ロペス