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2005年03月22日

ヒカルド・オリヴェイラ、黒豹のゴール・ハンティング。

ここ2年間、リーガ・エスパニョーラで著しい成長を遂げているのがベティスのヒカルド・オリヴェイラ。

今年25歳になるヒカルド・オリヴェイラは黒豹のようにしなやかな体をし、スピーディーなドリブルと切れ味抜群のシュートでゴールを量産する。彼の最大の魅力は非常にクレバーであることと、ビッグ・プレーヤー特有の存在感があること。観る者は、彼がボールを持ったとき何をしてくれるのか必ず期待してしまう。彼の目つきは野心に溢れている。

興味深いのは、その風貌に違わない彼の紆余曲折なキャリアである。8年前、17歳でサンパウロ州の名門コリンチャンスとプロ契約をしたヒカルドは、その後3年間に渡りトップ・チームでのチャンスを与えられなかった。

2000年には同州の古豪ポルトゲーザに移籍し、入団後はなんとセンターバックをやらされたという。本人は「とてもじゃないけどCBは無理」と監督に直訴し、本職のFWへコンバートされる(このとき現ローマのマンシーニが右サイド・ハーフでいた)。同年にはチームの得点王に輝き、2003年には当時のブラジル選手権王者のサントスへ移籍。

サントスの“少年軍団”ホビーニョやジエゴなどに加わり、チームを03年のリベルタドーレス杯準優勝へ導く。ヒカルドは9ゴールで大会得点王になる。

直後の03年7月にスペインの強豪バレンシアに移籍。バレンシアでは同シーズンのリーガとUEFAカップを優勝するも、チームのレギュラーFWには定着できない。後にバレンシアへ移籍したことについて本人は「移籍の仲介人に騙されたよ。バレンシアがあんなに守備重視なチームだとは思いもしなかった」と冗談めいたコメントをしている。

04年には念願のセレソンに初選出され、コパ・アメリカ優勝にも貢献。04年7月にはベティスに移籍。この時期に上のコメントを残しているが、確かにベティスという攻撃的なチームのツートップ(もう一人は同郷人エドゥ)に入った彼は、水を得た魚のように大爆発した。

今季ベティスはリーガ第29節時点で3位につけ来季チャンピオンズ・リーグ出場権を争っている。ヒカルドは15ゴールで得点ランキング4位(1位はバルサのエトォで18ゴール)、ゴール・アシスト数もかなりのものである。

チームは彼意外にもホアキン、エドゥ(元サンパウロ)、マルコス・アスンサォン(元サントス、フラメンゴ、ローマ)等(デニウソンも復帰している)を中心とした攻撃的サッカーを繰り広げ、いったん機能しはじめると誰もが見惚れしてしまうほどの素晴らしいアタッキング・サッカーを繰り広げる。攻撃力だけでいえばバルサを凌ぐと周囲に評価されており、日本にもベティス・ファンが多いのが頷ける。

ベティスは次節(第30節)は4月3日のアウェーで、相手はなんと首位バルセロナ。チームとヒカルドの真価が問われる試合となる。

その前にヒカルドはセレソンに合流し、3月最終週の南米予選2連戦にも参加する。

昨年セレソンに初選出された黒豹ヒカルドには益々注目が集まっている

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投稿者 fhasebe : 11:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月16日

セレソン、05年南米予選へ向けて招集

今月からいよいよ06年ドイツW杯への参加権をかけた南米予選後半が始まる。昨年からの長丁場は年末年始に一端中断されたが、今年3月から10月にかけてまた再開される。今回のセレソンは一気に2連戦の日程が組まれ、相手はペルー(3月27日)とウルグァイ(3月30日)の二チームである。
今週、パヘイラ代表監督によって招集された代表メンバーにはまたも面白い変化が見られた:

招集メンバー:
GK
ジーダ(ミラン)
マルコス(パルメイラス)

SB
カフー(ミラン)
ロベルト・カルロス(レアル・マドリード)
マイコン(モナコ)
グスターヴォ・ネリ(コリンチャンス)

CB
フアン(バイエル・レバークーセン)
ルシオ(バイエル・ミュンヘン)
クリス(リヨン)
ルイザォン(ベンフィカ)

MF
エメルソン(ユベントス)
ヘナト(セビーリャ)
マグラォン(パルメイラス)
ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(リヨン)
ゼ・ホベルト(バイエル・レバークーセン)
アレックス(フェネルバチェ)
カカ(ミラン)

FW
ロナウジーニョ(バルセロナ)
ロナウド(レアル・マドリード)
アドリアーノ(インテル・ミラノ)
ホビーニョ(サントス)
ヒカルド・オリベイラ(ベティス)

の22人。今回話題になったのは02年W杯グループのGKマルコスとボランチ・エメルソン(大会前に怪我で離脱)の二人の復帰とホビーニョ、ヒカルド・オリヴェイラ、マグラォン、マイコン、グスタヴォ・ネリなど昨年のコパ・アメリカを優勝したにもかかわらず予備軍とされていた数人が、いよいよ本格的にメイン・グループに呼ばれはじめたことである。

もちろんセレソンの中心選手は変わっていないが、真ん中のボランチの位置にエメルソンがレギュラーになる可能性が高まっている。セリエAファンは現在のエメルソンの安定した活躍を知っているはず。もともとレギュラー・ボランチだったジウベルト・シウバの不調もあり、このポジションはいまオープン状態になっている。 ボランチでは他にもヘナトやマグラォンも呼ばれた。アーセナルで試合に出場していないエドゥは外れた。

GKマルコスの招集は、これまで2ndゴール・キーパーを務めてきたジュリオ・セーザルがインテル移籍後(その後キエーボへレンタル)試合に出場しておらず呼ばれなかったため。パヘイラ監督も日本代表監督ジーコ同様、所属クラブに適応中で試合に出場していない選手は基本的に代表に呼ばない。

SBではカフーとロベカルのサブ探しが周囲の期待どおり本格的になりそうだ。今回は右にマイコンと左にグスターヴォ・ネリが呼ばれた。他にもベレッチやマックスウェル(PSV)などがいるが、彼等のいずれかが活躍するにはカナリア色ユニフォームを着てスタメンで出場する機会が必要だ。ブラジル国内のマスコミの一般の憶測では、W杯への出場が決定した後、過密日程を強いられているカフーとロベカルを休ませる意味で暫く二人は招集されないことが濃厚。今年半ばに開催されるドイツ・コンフェデ杯(日本代表も出場)あたりが微妙だといえる。

中盤の編成はこれと言って変化はないが、いつも不思議に思うのはジュニーニョ・ペルナンブカーノはあれほどリヨンで攻守に活躍しているのにセレソンで印象が薄いのはなぜか。ゼ・ホベルトはバイエル・ミュンヘンで控えにまわっており、ここのままでは来シーズンは別のクラブへ移籍しそうだ。

そしてFWはいよいよ若きホビーニョとヒカルド・オリベイラが台頭してきた。ルイス・ファビアーノやジュリオ・バチスタが外れたのは残念だが、先の二人はロナウジーニョに匹敵するポテンシャルの持ち主だ。

ホビーニョに関していえば、中盤の左右のポジションにも入れるため、ブラジル国内でもっぱら議論されているのは「どのようにして、ロナウド・ロナウジーニョ・カカ・ホビーニョを一緒にプレーさせるか」だ。パヘイラ監督はこの可能性を否定している。セレソンの監督が例えばバルサのライカールト監督だったら、この“スーパー・カルテット”は実現していただろうに。

今回の招集は様々な展開を予想させるが、まず今年最初の2連戦で結果を出すことが最優先であるのは言うまでもない。

投稿者 fhasebe : 00:29 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月14日

チェルシー×バルセロナ、久々の名ゲーム

3月前半、ロンドンで行われたヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグベスト16第2戦(2ndレグ)「チェルシー×バルセロナ」は世界中を沸かせた好ゲームとなった。

日本でも地上波テレビで放映されたこともあって、多くのサッカー・ファンが堪能できた試合だった。結果はチェルシーが4×2でバルセロナに競り勝ち、準々決勝の切符を手にしたが、結果そのものよりも、その内容の素晴らしさ、観る者に与えた興奮で今季最高の試合といっても過言でないエンターティメントを与えてくれた。

サッカーを長年観ていると、ありきたりな決勝戦よりもこのようなトーナメント途中段階の名勝負の方をビデオ保存しておきたくなる。この試合に関しては、ロウナウジーニョのスーパープレーに加え、モウリーニョ率いるチェルシーとライカールト率いるバルサの異なった戦術の激突が見応え充分であった。

人格的にかなりクセのあるチェルシーのポルトガル人監督モウリーニョだが、ホームで絶対勝たなければならない試合で用いた戦術はさすが名将と呼ばれるのにふさわしい。バルサが攻撃のとき自陣(というよりもセンターライン付近に)に二人のCBだけを残して全員が上がるのをいいことに、チェルシーはボールを奪うや、右に張っているジョー・コールにロングパスを通し、高速カウンターをひたすら仕掛ける。開始18分までの瞬く間の3ゴールはすべてこの作戦で叩き出した。

カウンターと言っても、このレベルの試合で仕掛けるのは言うは易し、行うは難しの芸当である。イングランド・サッカー特有のガッツにモウリーニョがもたらした高い戦術理解度の成果である。

一方のバルサはスコアには反映されなかったが、完璧といえるほどボールを支配した。たぶん地元のチェルシー・ファンも自分たちのチームがここまでボールを回されるのを観たのは初めてだったのではないだろうか。

そしてロナウジーニョの“腰フェイント”ゴール。一連のプレーはもう世界中の人々が何度も繰り返し観ているはず。この種のフェイントはビーチ・サッカーで止まっているボールを(砂場ではボールはほとんど転がらない)あるコースへ蹴ろうとみせ、一本足のまま、違うコースへ蹴るといったパスの出し方をする。ジーコはピッチでよくそれをやった一人だ。

ロナウジーニョの凄いのはそれを4人の選手に囲まれながら、さらにカーブをかけてキーパーの反応できないゴール隅に決めたことだ。地上波の解説者は「これだけ選手が囲んでいたらキーパーもシュート・コースが読めませんよ」と、さもボールを囲んだディフェンダーたちが悪いかのようなことを言っていて、少し興醒めだったが、普通なら絶対蹴れませんよ。

最終結果については、チェルシーの4点目のゴールはバルサのGKバルデスに対するファウルだった。ただし、これは家でテレビのリプレイを観て出した結論である。審判にはそんな余裕は無い。つまり、試合の流れでは二試合のゴール数計算ではバルサが次のステージに進出してもおかしく無かった。が、ちょっとした運やジャッジといった小さな要素が大きく結果を左右してしまった。もう一度この二チームが同じ条件で対戦すれば、また別の結果になるに違いない。それも、このゲームがハイ・レベルだった証明だ。

フッチブログが崇拝するトスタン氏はこの試合について「世界中のサッカー・ファンが何度も繰り返しみて観るべき試合。サッカー関係者はこの試合についてセミナーを開くとよい。高い個人技、現代サッカーの異なる二つの最高峰の戦術、すべてがこの試合にある。考えるに、この二つのチーム戦術を状況に応じて交互に実行できるチームは世界最強のチームになれる。それができる唯一のチームは我らセレソンではないだろうか、いやセレソンにはぜひ挑戦してほしい。もしそうなれば歴史に残るセレソンになれるだろう」

結果はともあれ、先日のチェルシー×バルサのような試合は世界中のサッカー・ファンの気持ちをより熱くさせてれた。

チェルシー×バルサ、どっち応援した?

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投稿者 fhasebe : 23:07 | コメント (3) | トラックバック

2005年03月11日

ワールド・サッカーの天才去る

今月の元オランダ代表監督リヌス・ミケルスの死はブラジル・サッカー界でも大きく取り上げられた。
周知のとおり、リヌス・ミケルス監督はオランダ代表チームを率いて1974年ドイツW杯大会で惜しくも決勝でドイツに敗れたものの、空前のセンセーションを巻き起こした。このときのオランダ代表が披露した戦術は全ての選手が特定のポジションに留まらず、全員で一斉にボールを奪いに行き攻撃に転じるという、後にトータル・フットボールと名付けられた斬新なものだった。

このチームは世界中で「時計仕掛けのオレンジ」と呼ばれ、ディフェンディング・チャンピオンだったブラジルとは同W杯の準決勝で相見え、2-0で圧勝している。

この敗北はブラジル人にとって衝撃であった。70年代の栄光のセレソンを引き継いだ74年W杯のチームはペレ、ジェルソンやトスタンなどが代表を退いたものの、ヒベリーノやジャイルジーニョが健在で優勝候補の筆頭とされていた。

当時の映像は現在ビデオで簡単に入手することができる。試合内容はオランダがブラジルを圧倒し、ニースケンスとクライフの得点で勝利している。当時の監督ザガロ(またもや)は敗北後、オランダ・サッカーの研究を怠った、ということでブラジルのマスコミから非難され、代表監督の座を後にしている。

ミケルスの死について尋ねられたザガロは当時を振り返ってこう語っている。

「あのW杯ではスタッフにちゃんとオランダ・チームの偵察へ行かせたんだ。すると彼はオランダの各選手の動きをノートに書いてきたんだが、それはもうグチャグチャの線が紙のフィールド全体に無造作に散らばっていた絵だった。“ザガロ監督、オランダのチームはつまり素人の草サッカーのようなものです”なんてぬかしていたが、私はちゃんとオランダの凄さを分かっていた。ただ止められなかっただけだ」

これは現ブラジル代表テクニカル・ディレクターによる最高の賛辞だといえる。W杯を優勝しなかった3大チームは54年大会のハンガリー、74年のオランダそして82年のブラジルだとされる。優勝しなかったからこそ、この三つのチームは永遠にサッカー・ファンの心に記憶されたのだ。

大会の3日前に考えついた戦術で、22日間を戦ったミケルス監督のトータル・フットボール。全ての選手が連動して動く近代サッカーの先駆けとも言われるが、ミケルス監督自身ですら二度と再現できなかった(ミケルスは再度オランダを率い88年のユーロ・カップを優勝している)幻のチームだった。

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投稿者 fhasebe : 21:41 | コメント (0) | トラックバック